野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第三章 近代科学と東洋宗教の身心観の相違 一2

 今回は、個人指導での出来事が文中に出てきますが、ここで言う「ある難病」というのは、厚生労働省が難病指定をしている自己免疫疾患という意味で、すぐにも命に関わる病状という意味ではありません。

 以前、「自分探し」という言葉が流行した時がありましたが、この中では「身体探し」という言葉が出てきます。これは「自分探し」がさらに深刻になった事態と言えるでしょう。現代の心と体の問題を象徴する例だと思います。それでは今回の内容に入ります。

 2 科学(二元論の文化)によって、自分と、自分の体が分かれている

十年以上前、ある難病を患った四十代前半の女性の例です。

この女性は半年程の間、個人指導に数回通ったのですが、その後一年余りの間途切れていました。改めて、個人指導を始めたいということで、この時(2011年7月)次のように話をしたのです。

 あなたとは、改めて「取り組み直し」をしたいと思います。

 あなたは今回、指導申込書の「目的と希望」欄に「『身体探し』をさせて下さい」と書いていますが、「身体探し」とは如何なることですか? 

 と尋ねますと、この人は「『自分の体』が良く分からない、ので…。」と答えていました。このように表現する中にあるニュアンスと、「身体探し」と書いたこと、そして以前に来ていた時の観察を通じ、この人自身と体が分離していることを強く感じて来た私は、今回再度の取り組みの始めという大事な時だからこそ、次のように話したのです。

  先ずね、今の表現で、私がはっきり分かることは、結構二元論になっているんですね。わかりますか?二元論!

 あなたは「自分の体」と言いました。今の表現のニュアンスは「自分と、自分の体が分かれている」という感じです。自分があって、自分の体があって、「体が私の言うことを聞かない」と言っているのです。あなたは二元状態になっているのです。

 体が、実は自分なんですね。しかし、あなたは「頭に自分が在って、体が私の言うことを聞かない」と言っているのです。これを心身二元論(心身分離)と言います。

 二元論になったのは、特に戦後の文化なんです。戦後の教育によって日本人が二元的になってしまった。無意識的に「私は頭」だと思っているから、「私の体が私に対して、私の思うようにならない」と。「私」というものと、「体」が分離し、対立しているのです(分離は対立を招く)。

 これを心身二元状態と言って、哲学的な表現で二元論というのです。無意識にデカルト主義者なんですね。

 実は、あなただけの問題じゃなくて、現代は多くの人にあることです。これで西洋医学(科学)は成立しているんです。

 このように話しますと、この人は「すごく良く分かります。今までそういう風に考えたことがなくて、これまでは自分が分からない、特に自分の体が分からないと思っていました。」と答えていました。

 この「自分が分からない、とくに自分の体が分からない」ということは、実は広く「感情」の問題があります。それは、感情の未発達と感情を体で感じるために大切な「身体感覚」が未熟という原因があるのです。

私は、この文章の始めに「取り組み」という言葉を用いていますが、野口整体の個人指導においては、「人が人に取り組む」ということなのです。

 指導者である私が、他者に取り組むのですが、ここには、相手が「自分の心に向き合い、自分の身体丸ごとに取り組む」という姿勢が、また必要なのです。

 私の体を観てくれるのが整体の先生で、「先生にお任せ」というのでは、西洋医療のスタイル(客観的身体観を育てるお任せ医療)と同じです。