野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持― 不易流行としての養生「整体を保つ」一 4

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 早速ですが、続きに入ります。

自身の内にある病因が見失われた現代― 二元論から一元論の医学へ

 現代の日本社会で主流となっている科学である西洋医学の医療では、「病症」は肉体(物質)的にのみ捉えられ、「心」との関係、また「生き方」との関係の中で理解されることはなく、扱われてもきませんでした。

 その反省から、心が体に影響して起きた病気「心身症(註1)」を研究する「心身医学」(註2)が生まれ、これを理論基盤とする「心療内科」が普及しましたが、これは近代以来初めて一元論としての医学が発祥したのです。

 

 戦後の日本では、例えば頭痛に対して、アスピリン(世界で初めて人工合成された医薬品)を飲んで、痛みを止めるという対処法が良しとされておりました(科学の国アメリカの文化)。ここには、伝統的なからだ言葉「頭痛の種」という精神的な捉え方はありません。

 日本での「心療内科」の草分け池見酉次郎氏は、その著で「病気には自分も責任がある」ことについて、次のように述べています(『続 心療内科』)。 

心因への抵抗

 はっきりした身体症状をもつ人たちは、一般に心因を認めたがらないものである。…心因がつよく関係しているということになると、自分が人間的に咎められる形になり、自分の責任で治さねばならぬという苦しい立場に追いこまれる可能性が生じる。

 このような理由で、…心身医学的治療に抵抗する人も少なくない。

心療内科に入院することによって、患者たちの多くは「病気には自分も責任がある、自分の生き方にも問題があるのだ」という自覚に達する。もっとも、このような自覚はただちには精神生活の向上や生活の改善につながらない。その自覚にもとづいた、長期の根気のいる努力が必要となるものである。

…医学が患者を「病気は自分の責任外だ」というあまえた態度にとどまらせるかぎり、治療は一時おさえの対症療法におわり、真の解決にはなりがたいといっても過言ではあるまい。このような立場から医学における治療の本質を考え直そうとする動きが、各科の医師だけでなく、一般人の間にも広く浸透することを切に念ずるしだいである。

  心身症において、なりやすい人の性格傾向として、自身の感情を意識で捉えることの苦手さや、空想力、創造力の欠如が医学的に指摘されています。

 第一章三 6に引用した養老孟司氏の「脳ばかり肥大して、からだがお粗末にされて」、感情表現がどんどん貧しくなってきていることが、こういった疾患の著しい増加につながっているのです(理性を精神(霊魂)とし、精神から感覚と感情を切り離し身体を物質的に扱う、科学の「心身二元論」に因る影響が大)。

 私のように「体と心」を観ている立場からは、的確に心を表しているからだ言葉が伝統的に存在するということは、かつての日本人はそれ(身心)をよく観ていた、そして「心身の相関関係」について自覚的だった、と明言することができます。現代の文明・科学の基にある「心身二元論」は、人間の実態とは違っている(心と体が分かれている人間はいない)のです。

 西洋医学に見られる「精神」と「肉体」の分離(体(病気)を、心との相関関係において考えることはない)は、二元論を基とする近代科学文明がもたらしたものであり、その上、一元論(身心一如)である東洋宗教文化の敗戦後の衰退が、この傾向を大いに強めてきました。

 高度科学的社会に適応できる人間を育てるため、理性を発達させる教育が主となっている現代の人々の弱点は、感情を発達させ、また「感情を制御する」方法を持っていないことです。感情のはたらきは理性よりも強いもので、ストレスとは、内にはたらく陰性感情なのです(先の池見氏の文章にある「心因」とはこのこと)。

 これが、科学の時代の問題点なのです。

(註1)心身症(心理によって身体に症状が現れる)ストレスによって、身体症状が出現したり悪化したりする場合(機能的障害・器質的障害)を心身症と呼ぶ。心身症は、心理的あるいは社会的な要因(人間関係)が大きく関わっており、持続するストレスが脳を介して、自律神経系、内分泌系、免疫系などに影響を与える(情動)ためと考えられている(胃潰瘍気管支喘息アトピー性皮膚炎、自律神経失調症など)。

(註2)心身医学 19世紀ドイツに始まり、第二次大戦前、アメリカへ渡ったフロイト派の精神科医によって、戦後アメリカで発達した。デカルトの「心身二元論」以来、西洋近代医学が身体を客体としてのみ扱ってきたことへの反省にたって、精神分析を専門にする精神科医により研究が盛んになった。