第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 三 1
三 自我から自己への中心の移動
三からはユング心理学の中心にある「自己」についてです。
ユングは『ユング自伝2』(みすず書房)の中で、アメリカでネイティブアメリカン(プエブロ)と語り合った時のことを回想しています。
この時ユングは、彼らが「白人たちは気が狂っているのだと思う」と言うので、「どうして白人たちがすべて狂気なのか」と尋ねました。この対話を少し引用してみます。
「彼らは頭で考えるといっている」
私は驚いて、「もちろんそうだ。君たちインディアンはなにで考えるのか」と反問した。
「ここで考える」と彼は心臓を指した。
そして、ユングは「インディアンがわれわれの弱点を衝き、われわれには見えなくなっている真実を明らかにしてくれた。」と書いてます。
プエブロには、自分たちは「太陽の息子(子ども)」であり、儀礼によって太陽の出没を助けているという宇宙観(宗教)がありました。
ユングは、このネイティブアメリカンに対して、「たしかに、彼は彼の世界に、ヨーロッパ人がヨーロッパ世界に閉じ込められているのとおなじように、捕えられていた」とも述べています。
自己というのは、内側の分離や対立、葛藤を統合すると同時に、自分の世界や価値を離れて相手を理解し、対立や分離を超えて共存するためのはたらきでもあるのです。
それでは今回の内容に入ります。
1 科学文明がもたらした人間の「全体性の喪失」
C・G・ユング(1875年生 スイス 精神科医・心理学者)は、17世紀に始まる近代科学文明と、人間の中心を理性による「自我意識」においた西洋人は、生命、自然というものから乖離していると考え、早くから西洋文明の持つ病理を指摘していました。
河合隼雄氏は、『ユングの生涯』(第三文明社 1978年)「はじめに」で
「ごく最近になって、ユングに関心を持つ人が急増し、…今世紀における偉大な思想家の一人として見直そうとするような傾向が伺われるのである。ユングの復権の現象は、わが国だけのことではなく、欧米においても同様に生じているのである。」
と始め、次のように続けています。
ユングと現代
…ヨーロッパに発生した特異な文化(近代科学)は、19世紀末から今世紀初頭にかけて、その威力を全世界に揮い、そのすべてを支配するかに思われた。ヨーロッパから派生し、ある意味ではその頂点を極めたとも言える新興国アメリカは、世界の中心と見なされるようになった。
…ユングは一般の人々が欧米中心主義に何らの疑義ももたぬ頃から、それに対する深い疑いによって自ら悩み、彼のもとに訪れてくる患者の悩みの底に同様の問題が存在していることに気づいていた。ヨーロッパの文化を支える二つの柱、キリスト教と自然科学に対して、彼の疑いの目は向けられた。
キリスト教と自然科学は時に相対立したりしながらも、うまく相補的に働き、ヨーロッパの繁栄を支えてきたものである。しかしながら、両者共に堅固な体系を形成するにあたって、それと相容れないものを峻厳に拒否する性格をもっている。従って、そこから締め出されたものは、欧米人の無意識の領域へと追いやられてゆくことになる。
ところで、ユングはそのような無意識の世界に注目し、その当時は全く堅牢と思われていたヨーロッパ文化の崩壊への危険性を読みとると共に、一方では、それを補償し新たな発展へと向う可能性をも、その中に読みとっていたのである。…ユングのそれ(思想)は科学的方法論自体をさえ疑うものであったので、理解されるために長い年月を要したのである。
誤解のないようにここでつけ加えておかねばならないが、後に述べてゆくように、ユングはキリスト教も自然科学も、それを否定しようとするのではない。そこに次元の異なる新しい要素が加わり、高次の統合性を目指す必要を説くのである。
現代は不安の時代であると言われる。…ヨーロッパ中心主義の崩壊などということを述べたが、そのために、われわれ日本人も中心喪失感に悩んでいる。つまり、中心となる規範が不明なのである。…現在における社会変動の急激さは人々のアイデンティティを揺さぶるのである。
このような現代の不安を先取りして、ユングは癒し難い内面の亀裂と不安を体験するが、そこから、個性化の過程という、ひとつの解決への道を見出してくる。
…現代の不安におびえるわれわれに対して、ユングの心理学は、われわれが不安から逃れることなく、それと直面していく勇気を与えてくれるものである。
科学の発展とともに、西洋人が目指したのは「近代自我」の確立です。
この「近代自我」とは、「自然を解明し支配する」理性によって、人間そのものを支配できるとしたもので、その問題は、とりわけ自身の感情をも抑制できるとしたところにありました。
理性によって完全にコントロールできると思われていた「感情・欲求」というものは、実際には「抑え込まれているのみ」であり、この抑圧された感情がコンプレックスとなって、暴力性や心身の病の因(もと)となることが、深層心理学によって明確となってきたのです(アメリカで1939年頃、抑圧感情による内科的疾患を扱う心身医学が提唱される)。
「近代自我」意識が理性に偏ったことは、人間の意識が無意識から分離したことを意味し、これが西洋近代の合理思想・科学文明がもたらした人間の「全体性の喪失」という問題です。
第三章一 1で述べた師野口晴哉の「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」という問題提起は、ユングが唱えた「個性化の過程(自我から自己への中心の移動)」の思想と同質のものです。