野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第一章 一2 自然支配型の科学文明と「人間の自然」を活かす野口整体

2 自然支配型の科学文明と「人間の自然」を活かす野口整体

 次は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震から、ひと月余り経った4月19日の毎日新聞の記事です。

毎日jp

 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新(あらた)教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

…平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。

 明治になっての「近代化」とは、自然支配型の科学文明が進行することでした。大震災が起きたことで、大津波に対し右のような研究結果が発表されたことは、先人の「自然に対する謙虚さ」に学び直す時が来ている、ということだと思います。

 西洋文明・近代科学の元には、「対立」があり「支配」があるのです。2008年4月以来、近代科学の哲学性(「科学とは何か」)を勉強できたことは、『病むことは力』(2004年6月刊行)の終章を「日本の身体文化を取り戻す」としたことに、理論的な裏付けを得ることになりました。

 これは、東洋宗教文化(瞑想法)が何ら体得されないままでは、野口整体を身に付けることはできないということを、暗に表現していたのです(野口整体は、禅を頂点とする日本文化の伝統「身体性」を基盤にしている)。

 野口整体は「人間の自然」を理解し、これと共存、さらには自然を活かすという、東洋宗教の伝統を受け継ぐ思想と行法(身体行)なのです。

 師は次のように述べています(『月刊全生』増刊号)。

晴風抄」

自然は美であり、快であり、それが善なのである。真はそこにある。

しかし投げ遣りにして抛(ほう)っておくことは自然ではない。

自然は整然として動いている。それがそのまま現われるように生き、動くことが自然なのである。

鍛錬しぬいてのみ自然を会することができる。

 師野口晴哉は、右のような「自然観」の元に鍛錬としての活元運動を奨励されたのです。