野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第四章 三 科学的知性(教養)の持ち主が「身体性(修養)」に目覚める 1

 今回から三に入ります。真田さんは個人指導を通じて自分本来のあり方を思い出し、理性的のみならず、感情の強さを出して人に対峙していくことで突破口を開きました。こうして、出勤困難という事態は脱したのですが、その後も人間を相手にしていく場面での試練は続きました。

 真田さんはもともと経理や資産運営などの能力、合理的能力といった面は高い人であり、そうした評価があったから役職を得たと言えますが、管理職というのは人間を扱う場面(人事など)が増えるもので、先に上げた能力とは異なる能力が必要になってくるのです。優秀とされていた人が良い上司になるとは限らない…というのは、こうした理由があるのでしょう。

 私は金井先生とともに真田さんに話を聞いたりして原稿づくりに関わっていた頃、『気の深層心理学』というタイトルを考え、金井先生にも提案したことがありました。それは、今回の内容から連想した言葉で、今でも印象に残っています。

 それでは今回の内容に入ります。

1 身体から心(自己)を観る体験の始まり―「腹」の体験と身心一元論

 2010年、個人指導の意味と価値を理解した真田さんは心して個人指導を受けようという気持ちになり、忙しいさなかにあっても定期的に道場に通っていました。

 仕事の上では困難な状態が続いており、真田さんは管理職を二人解任し一人は解雇という処置をしなければならない時があった。人事について強い権限を持つ立場にあり、こうした処置はこれまで何度も経験してきたものの、この内の一人の男性に対する処遇で、真田さんは心を揺るがすような衝撃を受けることになった。

 解任しなければならない二人の管理職の内、一人は解任後も真田さんの下で別の職務に着かせ、在職させる計画だった。しかし、真田さんより世代が上であったこの人は、自ら辞表を提出したのだった。

 真田さんはもとよりこの男性を評価しており、信頼もしていたのだが、その潔さ、誇り高さに圧倒されたという。役職としては自身の方が上であり、権限を行使する側であったものの、人間としては自分をはるかに凌駕する、大きな度量のある人だと感じたのだった。

 この人の辞職を全職員に告げた時、多くの職員が彼に共感し、辞表を出すに至った彼に同情した。そしてその後、真田さんは職員から冷たい視線を向けられるようになった。

 同時期に、真田さんの直接の部下で期待していた数名の職員が、突然辞表を提出してきた。真田さんはなぜ自分の元から離れていくのか理解できず、自身の人間的な度量、在り方に問題があってこのような事態になっているのではないかと思った。

 このような時期、真田さんは個人指導で一連の状況について金井先生に話をしたことがあった。この時、指導中に金井先生が真田さんの腹部に手を触れたのだが、不意に「食べても、食べても充ちない、腹が空っぽのような感じなんです」という言葉が出た。それは真田さんは意識下で感じていたことで、それまでは言葉になっていないことだった。

 金井先生は「この腹の感覚が、今のあなたの『心の空虚感』を表しています」と言い、「腹は、精神的な『人間の中心』なのです。これからは、内側で感じている感覚や感情を、なるべく言葉にするようにしてください。できれば、それを身体的に(「からだ言葉」的に)表現することで、意識と無意識の統合性を図っていくことが大切です。」と言った。

 真田さんは身心一元論や「腰・肚」文化について、文献等を読んで学んできていたが、この「腹」の実体験は初めてのことであり、金井先生の言葉は衝撃的だった。

 真田さんは指導後、金井先生に次のようなお礼のメールを送った。

「腹」の空虚感、「食べても、食べても充ちない、腹が空っぽのような感じなんです」は、前回指導を頂いている時に、ふいに意識化されたものでした。指導を受けるまでの間にも、その感覚はあったのだと思いますが、意識化され、言葉で表現できたのは、指導に対する感応であると確信しております。

 これまで、『肚』について書物を通して学び、考えることがありました。しかし今回の、腹を感じ、言葉で表現することは、私にとって、一種の宗教的な体験でした。ここから自らの変革が始まる、という意味での深い体験です。

 真田さんは、自身の内にある空虚感を否定的には捉えなかった。むしろ腹で空虚感に気づくことができたことで、自身の腹を充実させ、「肚」のある人間になりたいという強い欲求を感じたという。

(金井)

「食べても、食べても充ちない」という時は、心が衝撃を受けており、味覚がはたらかなくなっている(美味しく感じないことで充ちない)のです。このような時、私が観察する(気で観る)お腹は、たくさん食べていても空っぽなのです。

 こういう時、やたら食べず、衝撃を受けた心を自覚し、反省的に気を鎮めることが肝要です(経過することで感覚(味覚を含む)が戻る)。

 こうして『肚』はできていくのです。