第二部 第四章 三5① 私を抑えていた「悲しそうな母の顔」― 幼いころの二つの思い出
(近藤)
この『野口整体と科学』の原稿にはないのですが、『「気」の身心一元論』収録の原稿には、真田さんが個人指導での「腹」の体験の少し前に、ふと思い立って子どもの時に住んでいた場所に行った時のことが述べられています。
真田さんにとって、子どもの時の記憶は「総じて暗いという印象」であり、特に懐かしい温かい場所というわけではなかったのですが、なぜかそういう気になったのだそうです。
この時、暗い漠然とした印象しかなかった子ども時代にも、楽しかった時があったことが思い出され、「どんより曇った記憶に薄明かりが射すようになった」と述べています。
指導時にこのことを金井先生に話すと、先生は「現在が変わることで、過去が変わるのです」と言ったそうです。そして3、4の「腹」の体験を経て今回の出来事、というのが時系列となっています。
5① 私を抑えていた「悲しそうな母の顔」― 幼いころの二つの思い出
2010年8月、真田さんは妻と北軽井沢を訪れた時、子どもの時の記憶が蘇りそれを妻に話すという出来事をがあった。
それは、真田さんが3歳位の時のことで、これまで何度か思いすことはあったが誰にも話すことができなかったことだが、ぼんやりしていた記憶が克明に一部始終思い出されたのだった。
この記憶の中心になっていたのはその出来事自体と言うより、「母の顔」だった。
幼かった自分がしでかした事で、困惑し悲しそうな顔をしている母。真田さんの中にはいつもそんな表情の母がいて、それは自分のせいだと思い込んでいたことに気づいた。真田さんは、いつの間にか自分のしたいように行動すると母悲しませることになる、という潜在意識が裡に形成されていたのだと思った。
真田さんが小学校二年生位の時のことだ。隣にドイツ人の家族が越してきて、真田さんはその家のマックスという同い年の子と仲良しになった。その子はドイツ人学校に通っていたがあっという間に日本語を覚えてしまい、いろんなことを競い合う良い遊び仲間だった。
ある時、二人は空き地に枯れ枝が積んであるのを見つけた。そして、この枝に火をつけて、その熱の力で空を飛び、どちらが高く飛べるか競おうという話になり、本当に火をつけてしまったのだった。
炎は高く燃え上がった。空き地の隣に住んでいたお菓子の老婦人がそれを見て驚き、真田さんの祖母に知らせ、さらに駐在所の巡査にも通報してしまった。祖母は真田さんの母にとっては姑であり、家柄を誇りに思うタイプの人だった。
火はしばらく後に自然鎮火したので真田さんは帰宅したのだが、玄関先に巡査がいて、祖母と何やら話をしていた。祖母は真田さんを見るなり怒った顔で母を呼ぶように言った。
そして真田さんと母は、祖母の前で巡査にこっぴどく叱られてしまった。その巡査は母に「このような高貴な家の長男を育てるのだから、しっかりしろ」というようなことを言った。それはいかにも祖母が気に入りそうな言い方で、その時の母は本当につらそうな、悲しそうな顔をしていた。
子どもだった自分が取った行動によって、母が祖母(姑)に叱られる…という出来事が繰り返されることで、「恐れ」とう感情がいつも真田さんを抑えるようになっていった。
自分らしさを表に出し、思ったように行動すると、母を悲しませることになる…という恐れが、自分を抑え波風を立てないようにして処世する生き方に向かわせ、真田さん自身を本来のあり方とは違う方向に歪めていったのだ。
その恐れは突き詰めると「嫌われたくない」という恐れだった。真田さんは母の悲しそうな顔を見ると、母に嫌われるのでは、母が自分を見限るのでは、と恐れていたのだ。この「恐れ」は、母のみならずこれまで出会った他者のすべてに感じてきたことだった。そして、本来の自分ではない在り方を「自分とはこういうもの」と思い込んでしまうようになったのは、こうした背景があるのだと思い当たった。
真田さんは、周りを見て「こうすべき」と考えたことをする癖、そして潜在的な「疎外感」も母の愛情を失うことに対する恐れにつながっているように思った。
身体感覚に注意を集め、感じることを深めていくことで、意識下に沈んでいる記憶が蘇る。真田さんは、それが自己理解を深めていくはたらきとなるのだと痛感した。
野口整体の個人指導では、気による働きかけを通じて身体の中にある本来の自己を感じ、受容し、成長させる。私の場合、体癖を通じて本来の自分を知ることによって、自己認識を感覚と感情に根差した理解へと改めること(主体的自己把持)につながった。そこから、自分を成長させる歩みが始まるのだ。
心理療法におけるカウンセラーの支援は主に言葉によるものだが、金井先生の指導を通じての認識の深まりは、言葉を介して自己の内にあるものを引き出し、受容することとは異なる実感がある。