野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第四章 三5② 意識以前にある自分

 今回紹介する「意識以前にある自分」は、金井先生が入門した1967年に月刊全生に掲載された記事で、野口先生の若い人たちに向ける熱が伝わってくるような内容です。

 真田さんは、子どもの時に感じていたことがいまだに自分の感受性に影響を与えていることに気づく…という体験をしました。感受性の歪みは簡単に修正されるわけではなく、気づいた後も同じ穴にはまってしまったり、新たな歪みに気づいたり、さらに異なる潜在感情が潜んでいることに気づいたり…ということを積み重ねていくことがほとんどです。

 しかし、気づくことで「日に当てる」ことができると、真田さんの中にある「恐れ」は支配力が次第に弱まっていき、恐れを感じた時に身体的に自分を立て直していけるようになるのです。

 それでは今回の内容に入ります。今回は全文金井先生の原稿で、そのまま掲載します。

5② 意識以前にある自分

 三 1の「腹が空っぽ」、4の「肚」の体験、こうした身体的経験自体が、河合隼雄氏の「自我から自己への中心の移動(第一部第五章三で詳述)」というもので、ここから「主体的自己把持」へと進むのです。

 師野口晴哉は、「《潜在意識教育》意識以前にある自分」(『月刊全生』1967年6月号)の中で、「自分」というものを捉え直す大切さについて次のように述べています。

自分で作った自分

 私達が今「自分」と考えているもの、或いは自分はこういう事ができる、これこれこういう人間であるというように、自分が理解している自分は本当の自分の全部ではない。生れてから、意識し経験し、体験してきた事の総合が自分だと、みな思っている。つまり考え様によっては、それは生れてから自分で作り上げた自分である。

…意識して作られた自分、或いは他人の言葉によって「そうだ」と思い込んだり、自分の都合で「そうだ」と思い込んだり、自分自身で「俺にはこれ位の力しかない」とか、「俺にはこれだけしか力が発揮できない」とか言うように、いつの間にか自分に限界をつけて、これこれこういうものが自分というものの実体だと、自分で思い込んでいる。しかしそれは、「意識した自分」であり、「意識で作った自分」である。

…意識が心を造ってきた。赤ん坊でも、始めは意識は少いが、生まれてからは造っていく。その意識以前にも、やはり自分があった。自分があったからそれを意識するようになったのである。

 その意識以前の自分というものは、細胞をつくってゆく、子供を造ってゆく。眼球を造ってゆく、心臓を造ってゆく。皆そうやって、我々が今この世にあるような形になったのである。意識すら、意識以前の自分が作ってきた一つの働きなのである。

 人間の中には、もっともっと大きな力がある。無限の可能性を潜めている意識以前の自分に対して、意識して作った自分(自我)が非常に強固であるために、これが自分であるというように思ってしまって、本来の自分を発揮できなくしているのだ。意識で造ったものを打破する必要がある。

「意識で造ったものを打破する(自我の再構成)」ことで、無意識にある「潜在的可能性」が現れるのです。活元運動を真に行うことでなされる、一時的な「自我の消失」の繰り返しは、これを涵養するものです。