野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第一章 一3 ヘリゲルの禅の予備門としての弓道修行

 今回は今年最後の記事です。皆さん良いお年を。

3 ヘリゲルの禅の予備門としての弓道修行

 ヘリゲルは、教師として日本に滞在する機会を得たことを奇貨(思わぬ利益を得られそうな機会)とし、当初、日本文化の真髄・坐禅を体験することを望みました。

 しかし西洋人であるが故、入門への関門「不立文字・教外別伝」が突破できず、周りの人々の、「坐禅に取り組むより、日本のいろいろな術(道)の何かを習う方が良い(稽古事は、ある程度仏教の精神を分かち持っている)」という助言に従うことにしました。彼はその時のことを、次のように述べています。(『新訳 弓と禅』弓と禅 Ⅱ.弓道を学び始めた経緯)

禅の予備門としての弓道修行

私は〔日本に着いて〕新しい環境に何とか慣れるとすぐに、私の宿願を実現しようと心を配った。しかしながら、さしあたって困惑するような忠告を受けた。

これまでヨーロッパ人はまだ誰一人、禅について真面目に努めていなかったし、禅自体は〔教外別伝として〕「教え」のほんのわずかな名残りすらも拒むものであるから、禅が私を「理論的に」満足させるなどと期待することはできない(註)だろうと言われた。

…そこで、人々が教えてくれたのは、ヨーロッパ人にとって、彼らとは最も遠い極東の精神生活の領域に入り込むことは望みがないことである、ただし、禅と関係している日本の「道(どう)」を学ぶことから始めるなら別であるが、ということだった。

一種の予備門を修するという考えは、私をひるませなかった。禅に少しでも近づけるという希望があるのであれば、どのような譲歩も厭(いと)わなかった。それ自体、苦労が多い回り途だったとしても、全く途がないよりもはるかに良いように思われた。この目的のために名前を挙げられた諸道の中から、どの道(みち)に私は専念すべきであるのか?

(註)教外別伝

 仏教の真髄(禅)は、文字や言葉では伝えることができず、心から心へと直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味。ゆえに教外別伝とは、えのえがあるのではなく、師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。また、師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない、とするのが「教外別伝」の内容である。

 弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていき、何事も自分の努力(実践)で体得して、初めて自分のものとすることができる。そして、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるもので、文字や言葉では、究極のところは伝わらない。

 ヘリゲルの禅入門への渇望は達せられず、来日からここまで二年近くの時を費やしましたが、助言により、分かりやすい術(道)に取り組むことになりました。そこで、彼の妻が生け花(華道)と墨絵(日本画)を習うことにした(註)ことから、日本文化の体験が始まったのです。それは、ヘリゲルには、妻が受けていた生け花と墨絵の稽古に聴講生として同席するという機会が与えられたのでした。

(註)妻とは、来日の翌(1925)年9月に再婚したアウグスティ(グスティ)。来日時には、身重の妻バロネッセが一緒であったが、三ヶ月後(8月8日)に死産をし、五日後に彼女自身も亡くなった(『新訳 弓と禅』解説による)。妻グスティが生け花と墨絵を武田朴陽(ぼくよう)に習ったのは、東北帝国大学に先に勤めていたドイツ人教師・モーリス・パンゲの紹介であったようである(『新訳 弓と禅』)。

 そして、生け花の先生(武田朴陽氏)が弓道阿波研造1880年生)氏と親交があり、折に触れ、阿波師の言葉を引用した ―― 華道と弓道は共に禅の精神を元とし、相通ずるものがある ―― ことから、弓道を志すに至ったようです。

 ヘリゲルは1926(大正15)年春頃、「滞在中に、日本の文化を出来るだけ正確に豊富に理解したい」という願望を、同僚の小町谷操三氏に打ち明け、旧制第二高等学校(現在の東北大学の前身)時代、阿波師に弓術を習っていた小町谷氏に、入門願いの仲介と、稽古時の通訳を頼みました(小町谷氏が東京帝大卒業後、教授として東北帝大に赴任した時、阿波師は東北帝大弓術部の師範であった)。

 小町谷氏はさっそく阿波師を訪ね、ヘリゲルの希望を伝えましたが、師は「今までに幾人かの外国人から頼まれて教えて見たが、いずれも失敗したから、失礼だけれどもお断りする」と、氏からの申し出を一言の下にはねつけた(即座に断った)のです。

 阿波師は、弟子が外国人であるがゆえに、「禅の精神を繰り返して説くことをしない」という譲歩を、二度としたくないという強い思いでした。

 しかし小町谷氏は、ヘリゲルの日本精神理解への切なる気持ちを伝えることで、阿波師からの入門許諾を得ることができました。

 この時、阿波師は彼を教えるに当たり、小町谷氏に「責任を持って通訳するよう」命じました。そして、奇特な哲学者ヘリゲルへの敬意を「報酬無用」で表しましたが、この日本的な礼儀の表し方に対し、ヘリゲルははなはだ当惑したようです。

 阿波師が謝礼を受け取らなかったのは、哲学者である外国人が「弓道精神」を理解しようとすることは、阿波師の「衷心からの欣快(心の底からの非常に嬉しい思い)」であったからです。

 それで、ヘリゲル夫妻の稽古日には、日本人の弟子には遠慮してもらうという個人指導ぶりで、彼らの指導に臨んだのです(『日本の弓術』・『新訳 弓と禅』)。

 こうしてヘリゲルは、禅の精神に到達するための手段として、毎週一回、妻と小町谷氏の三人で、弓道に取り組むことになりました。

※ブログ更新は1月7日から再開します。本年はありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします。(近藤)