野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四部 第二章 一1 禅の思想家・鈴木大拙氏の紹介― 禅を英語で世界に向け発信し西洋と東洋との対話の場を開く基礎を築く

 禅者の鈴木大拙氏(1870(明治三)年11月11日~1966年7月12日)は西洋の言葉と思想を深く学び、その上で自分の禅体験と仏教研究を基に、仏教、とくに禅を西洋へ伝えようとしました。アメリカや欧州では「ZEN」の人として良く知られています。

 大拙氏の偉大さは、禅の修行者としてたどり着いた心の世界だけではありません。彼の真の業績は、長年アメリカで生活し英語を身に付けたことと勉学を通じて、西洋人とその文明を熟知し、禅を英語で世界に向けて発信し、解説したことにあります。

 そして氏は、西洋の自然科学に代表される対象を客体として認識する「分別知(分析する知)(註)」に対し、東洋の仏教思想に代表される「無分別智(分別知を超えた絶対的な智)(註)」の重要性を主張しました。これらの活動を通して、多くの人々の仏教への関心を喚起し、西洋と東洋との対話の場を開く基礎を築いたのです。

(註)分別知 自と他を分け、知(見)るものと知(見)られるものを区別する(理性によって主体が対象を客体として認識し分析する)二元論的な知。分別知とは頭を使って論理的に考えることで、すべて自我のはたらきによる。また一般的な意味では、分別とは「道理をよくわきまえていること」で、「物事を識別する心のはたらき」を指すが、仏教用語では「我(が)に囚われた意識」を意味する。

無分別智

 分別を超えた絶対的な智。仏教では、自我が物事に対する執着を持つ原因であるから、無我・無心となって(=自我を捨て)、相対的な主観・客観の分別を離れる(=無分別を分別する)ことによって真実の智慧を得る。

 我(が)(自分に対する執着心)や煩悩、雑念というフィルターを通さない、無意識層で判断する(無意識層に浮かんだ)純粋な智慧こそが無分別智(根源的で意識できないレベルで捉えた智)。※無分別という言葉は「思慮がなく軽率なこと」の意でも使われる。

無分別智=直観智

 仏語「般若」の訳語である直観智は、分析的な理解である分別知に対して直接的かつ本質的な智慧を指し、無分別智と呼ばれる。

 智慧とは、さまざまな修行の果てに得られる「悟り」のことを指し、学習によって累積的に得るものではなく、知識や経験を積み重ねたうえで、それを突き抜けることで(研ぎ澄まされた瞬間的な理解によって)得られるもの。