野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第三章 一5日本人の感傷性(情的無分別)― 日本人は西洋の合理性を学ばねばならぬ②

②日本人の感傷性

大拙氏が語った「日本人が学ぶべき西洋」について、上田閑照氏は、次のように述べています(『東洋的な見方』)。

鈴木大拙における「東洋的な見方」Ⅰ

大拙は…「東洋的」に対する明確な批判、否認、拒否を露わにしている。…主体の存在の質にかかわるような根源に関する限り、世界にとっての「東洋的な」見方のかけがえのない意義を強調する大拙も、いわゆる民族的メンタリティとしての日本的・東洋的感傷性や社会的現実における日本的・東洋的不合理性に対しては、厳しい批判をはっきり出している。

この『新編』に含まれているものでは、殊に「日本人の感傷性」、「物の見方――東洋と西洋」においてその批判は強く明確であり具体的である。これは大拙のかねてからの一貫した批判であった。

「日本人の心に弱点と見られるものの目につくのは、分別性をあまりに軽んずるからである(分別知の重要性)。その短所は情的無分別のところに歴然として出てくる」。

「日本人のただ感傷性に富むこと、人に引きずられてゆくこと、自主的に物事に対する考え方をもたぬこと、理智力の十分に発達していないことなど」は西洋的生活世界を生きてきた大拙にとって克服さるべき明白な短所である。

 そして「これは西洋風に、どこまでも考えてから、行うべきだ」。大拙はこの連関では西洋の合理性を学ぶべきことを繰り返し説いている。

「安っぽい感傷性の東洋的なるものにいたっては、大いに排斥すべきだ。この点では、欧米式の合理的なるものを学びとらなくてはならぬ。それで感傷性を置き換えるべきである」。

「東洋としては二分性の徹底を学ばなくてはならぬ」。とは言え、「二分性だけでは人生を尽くすわけにはゆかぬ」、「また割り切れるものではない」ところに人間として生きる決定的なところがあり、大拙が自らの言葉で「東洋的」と言うときは、そこに向かって直接に言うのである。

 このようにして「東洋的」という言葉だけとると、大拙においても極端に両義的である。かけがえのない意義を担う場合と、否定さるべき意味で言う場合と。

 その際、この二義は単なる並列ではなく、後者は、前者が或る条件や或る境位(状況)において裏目に出たものということが出来る。上(先)の引用の中で克服されるべき短所として「情的無分別」ということが挙げられていたのは、その意味で象徴的である。

 元来「無分別」は大乗仏教の基本語として、我(即ち、我執の我)と結託する分別を超えた「無分別智」が示すように、解脱(覚)の智恵という高い意味の言葉であり、大拙も基本的にはこの意味に則っているが、その「無分別」が、無分別のゆえに裏目に出て、分別を欠いた「情的無分別」に変質してしまう。これは「望ましからぬ東洋的」である。大拙自身もそのような否定的意味で「無分別」を使う場合もある。

…「東洋的」がこのように両義的であるゆえに、大拙は「東洋的なるものの望ましきをみる」ために「知的限界のいやが上にも広く、霊性的透視のあくまで深からんこと」を要求するのである。

…「東洋的な見方」を世界に提出しうるためには、日本人自身が合理性、知性、理智による感傷性の制御を学びつつ(これは一つの訓練)、情性を深化し霊性的透視を深めてゆく(これは「行」による)ことが大前提となっている。

 大拙氏はこのように、日本人には「世界における自覚」を促し、西洋に対しては「世界にとっての東洋の意義」を説いたのです。

「物の見方―東洋と西洋」で氏の言う日本人の「感傷性(情的無分別)」の問題とは、日本人の封建的道徳観に基づくもので、氏の意味する「封建的」とは全体主義を意味していました。

 それは「(自分の利益を超越した)全体を目的とするなら何をやってもよいという感情主義一点張りである。如何なる形態の全体主義でもその根底には封建的なものがある。封建的というのは、ただ一方をのみ見るように各自の感情を強引に教育して行くことである。そうして何れもが同一行動に出ずるように、群集心理を極度に指導して行くことである。」というものでした。

 日本人にこうした情性があるところに、ドイツ式の権力政治を導入し、国家神道が火に油を注いだ結果、理智力を失い「降参」(無条件降伏)という局面を迎えたのだと指摘したのです。

「日本人的感傷性考え方」と、「欧米人的合理性考え方」を対照化して捉え、日本人に対してはこうした「感情的」あり方に対する反省の上に立ち、「自らを失ってはいけない」が、同時に「ひとりよがりではいけない」と、日本の将来を考えるよう促したのです。

 その上で、東洋的見方の真価を世界に訴えていこうとしたのが鈴木大拙氏の姿勢でした(しかし、日本の敗戦後すでに七十年を経たが、その反省が行なわれないままに過ぎた)。