野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体 Ⅰ 活元運動― 身と心を調えて(整体となって)自分の健康は自分で保つ

 今回から『禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動』に入ります。今日は表紙から紹介することにしました。先生考案の表紙タイトルには、「活元運動」に“思想を通じて身につける”というルビがふってあります。裏表紙中央には、

整体とは、いつどこででも

活元運動が発動している状態である

野口晴哉

という言葉を入れる予定でした。

 そして表紙の袖(右側上段・下段)に使う予定だった文章があるので紹介します。どうやって組む予定だったのか忘れてしまったのですが…。

上段

「整体・体が整っている」という身体性が人生に何をもたらすか

野口整体の理念は、自身に具わる自然治癒力への信頼を拠り所として「自分の健康は自分で保つ」ことです。これを「体を整える」ことで実践するための行法が、活元運動と個人指導です。

野口晴哉は、「整体を保つ」ことで全生する生き方を説きました。「整体(整っている体)」とは意識が明瞭( =雑念に支配されることが少ない状態)で、主体的に生活が出来る「身心」を意味します。

そして「全生」とは、「自分の健康は自分で保つ」にとどまらず、身体(身心)を開墾することで「人間の可能性を見出そうとする生き方」です。これは、生命の「合目的性((生命は)一定の目的(生を全うする)にかなった仕方で存在している)」を有している、身体という無意識を活用することです。活元運動を行なうことはこのための修養で、これをきちんと行うために必要なのが教養(思想の知的理解)です。

本書の目的は、「気・自然健康保持会」独自の、科学的生命観と野口整体的生命観との相違(西洋と東洋の世界観の違い)という、思想の理解です。

下段

東洋宗教(伝統)文化を再考し「禅文化としての野口整体」を思想的に理解する

戦後七十年を経た現代は、敗戦(1945年)によるGHQ占領下の「日本弱体化政策」と、その後の科学教(狂)ともいうべき時代を通じて、「道(どう)」の文化が失われたことが知られておりません。これは、とりわけ若い世代において顕著です。東洋宗教(神道、儒・仏・道教)が統合され、日本人の生き方の規範となっていた、「道」に大きな影響を与えてきたのが「禅」であり、これらが伝統文化の中心でした。

「道」とは人格を磨き、生き方を高めるための道筋であり、精神性の向上を目的とし、武術や舞踊、茶や書などを修行(これらの身体行を通じて師に学び、生涯を賭けて人生を深く理解)することでした。

このような伝統を基盤とし、明治・大正時代を通じての「近代化」の中、昭和の初めに野口整体は生まれたのです。

伝統的な「道」を失った現代の日本人が、内なる自然「身体」と一体となる、活元運動を体得するための思想と行法を説きます。     (金井蒼天)