野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 一1 野口整体で解った体の賢さ― 「私の体は、私の頭より賢い」②

 申し訳ありません。同じ内容をupしてしまいました。②に差し替えさせてください。

 内田樹氏に『私の身体は頭が良い』という著書があり、意味としては似ていますが「私の体は、私の頭より賢い」は出版よりずっと前に、指導を受けた人が漏らした言葉です。念のため…

 個人指導の中で感情体験の振り返りをする時 、観察を通じて「何かこれからどうなるか不安になってるみたいだけど、どうしたの?」などと聞いてみても「そういうことがいっぱいあってどれがそうなのか分からない」と答える人がいます。指導を受けたことのない人の中にも、どうしてこれが原因だとはっきりわかるのか?と思う人がいるかもしれません。

 野口晴哉は「体というのは快と不快の切り替わりが大切だ」と言っていますが、感情が滞っているということは、体が不快のまま切り替わりができないということで、意識上では忘れていても体は不快のままであることが体の観察で分かるのです。

 そして、その不快スイッチが入ってしまった出来事を思い出すと、その瞬間に体と頭がつながってさっと体は変化します。敏感になると自分でもそれが分かるので、「これだ」と共有できるようになります。

②「びっくりする」=「肝を潰す」

 感情は主観的なものですが、外部から観察可能な側面としての「身体的変化」があります。感情は陰と陽に大別され、問題となる陰性感情について取り上げます。

 陰性感情が生じている時の「顔の表情」、「骨格筋の緊張」という変化は、誰しもそれなりに外部から観察する(この時当人は、呼吸や心拍数の上昇、発汗などを通して、どのような感情かを主観的に捉える)ことができるものです。

 私たちの体と心(感情)は密接な関係にあり、不安や恐怖あるいは喜びといった喜怒哀楽の感情は、身体的変化を起こす情動と呼ばれます。情動は、感情を自然科学の対象として客観的に捉えることを意味するもので、感情のはたらきが自律神経の働きを介して起こす身体的変化を指します。

(物理的に捉えられることが客観的で科学の対象となるが、主観的認識は科学ではない。)

 情動は陽性感情による快情動と陰性感情による不快情動に大別され、陽性感情(喜や楽など)は副交感神経が、陰性感情(怒や哀など)は交感神経が、それぞれ優位に働くとされています。

 不快情動は生体にとっては危機的な状態だと判断され、いつでも危機に対して行動できるよう交感神経が働いているのです。それで、「ほっと」することで副交感神経の働きに切り替わって、その緊張が弛むことが必要なのですが、現代人はこれが容易ではなくなっているのです。

 そして、科学である心理学や生理学などの対象となる情動は、「比較的急速に引き起こされた一時的で急激な感情の動き」と定められ、短期・一過性のものとされています。しかし「身体(身心)的観察」においては、情動は継続されているのが事実で、意識下(潜在意識)において、その感情がはたらき続けていることを観ることができます。

 科学の客観的に、という語は「誰にも分かる」ことを意味しますが、これは表層意識(理性)によるものなのです(このように説明できるのは、訓練された手と眼の観察能力によるもので、これは主観という外(ほか)はなく、「臨床の知」というものである)。

 Nさんの背中には、きっとその時(3月31日)のものであろう「びっくり」した状態が胸椎8番9番に残っており、これは「その時以来のものだな」と確認でき、この間(3月31日~)の様子を捉えることができました。

 日本語には「肝を潰す」という言葉があります。これは「突然の出来事や予想外の結果などに非常に驚く」という意味ですが、背骨を観察することでそのことを捉えることができます(胸椎9番は肝臓の急処であり、東洋医学で、肝は気力や度胸を司る器官であるとされる)。

 このように、「体調不良」の原因となった情動体験を、私とともに回想し、整体操法により解消を図ることとなりました。