活元運動は、この錐体外路系の機能訓練を指している(「整体」になるとは、運動系が整った状態になること)のですが、1で述べたように「偏り疲労」が強い状態では、活元運動を長く行じた人であっても、「本気で活元運動をする気になれない」とか、行なっても「運動がきちんと出ない」というように、「秩序回復機能」が十分にはたらかないのです。(この時、不快・不全感・異常感を感じるのは、体が敏感)
このような状態をもたらしているのが不明瞭なまま鎮まらない心(潜在意識)で、そこで「臨床心理」による個人指導が必要になるわけです。
不調の理由を振り返り、その理由を話すこと(話すことは、身体から陰性感情を離すこと)と、愉気法(主客一体=指導者との一体化)によって、潜在意識化していた感情の表出と共に身体の緊張が弛み、さらに、整体操法によるはたらきかけによって錐体外路系の働きが活発となるのです。
個人指導で「身体を整える」ことについて、師野口晴哉は次のように述べています(『月刊全生』昭和47年五月整体指導法中等講座)。
大人の天心
…技術中心から活元運動中心になり、それから今度は教養(思想)の面に主力を注ぐようになりました。しかし技術を知っていないと指導の役をできない場合が時々あるのです。相手と一緒になって心配していてもしようがない。
そこでそういう弾力の無くなった体に弾力を回復する、あるいは弾力のない心に弾力を回復させるための方法や技術も要る。自分では(活元運動を実践し思想を理解していても)行き届かないところがたくさんにあるから、整体操法ではそういう面を受け持っているのです。
こうして、上体の力が抜けて腰に力が入る状態になる(腰で自分を支えることができる)と、活元運動が円滑となり、それで、さらに緊張が弛み、体の上で本当に感情体験を忘れて行くことができるのです。
(Nさんの妊娠初期に体験した強い感情を伴う体の記憶も、こうして過ぎ去った。)
このように「意識下の興奮」が落ち着く(心が鎮まる)ためには、情動エネルギーに支配されている意識の状態に気づくことで、これが「身体感覚」のはたらきです。
(身体感覚が敏感な体であれば、鎮まった心の状態に戻り易い)
偏り疲労や硬張りを自覚していても、この基となる潜在意識化した陰性感情(負の感情体験内容)には、個人指導経験者であっても自覚がないことがあり、自覚があればそれだけ、その影響が少ないものです。
「自分の健康は自分で保つ」ための活元運動を真に体得するには、「意識下に潜伏した陰性感情」に気づくことが肝要で、これが、私が説く「自己を知る」こと、「禅の智」です。
このため、「身体感覚(気づく力)の養成」が鍵となります。身体感覚が敏感であればこそ「整体(整っている体)」を保つ(身をたもつ)ことができ、「自分の健康は自分で保つ」ことができるのです。
個人指導は、このようにして「整体」に導くことを目的に置いていますから、被指導者は、不断に「心を鎮める」という態度が肝要です(指導者の援助による自己組織化の結果、秩序が回復するが、援助少なくして整うことが究極の目的である)。
これは、坐禅の「調身・調息・調身」を勧めるものです(「道」の世界では、指導する者と指導される者が分かれていない)。