野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 二 主体性を保つための活元運動― 自発的な生き方と潜在意識 1

1「人間の自然」を保つための活元運動― 野口晴哉が薦める「脱力」は丹田呼吸が目的

 師野口晴哉は、体の力を発揮するのに必要な「丹田呼吸のための脱力」について、次のように述べています(『偶感集』全生社)。

脱力

体の力を抜きなさい。筋を出来るだけ弛めなさい。体の力を発揮する第一の方法です。

 力を入れ筋を硬くしないと、体力が発揮されないと思うのは間違いです。丸木橋を渡る人や、清書をしようとする人を御覧なさい。固くなっている間は、本来の力を発揮しません。

 恐怖や驚きのまま固まってしまっているような硬直した状態は、決して人間の自然の相とは言えません。

 筋を弛めると、自ずから下腹で呼吸(丹田呼吸)するようになるのです。

( )内は金井による

 傍線部の内容には、「弛みきれば緊まる」という、師の身体性に対する確信があるのです(緊まれば体の力を発揮することができる)。

 このような「弛緩と緊張」の関係は、東洋思想の元・易経の「太極図   」に示されている原理であり、下腹(丹田)で呼吸する身体の状態が「上虚下実」です。

 人間の体の運動は、意識して動く「随意運動」と、意識しないで動く「不随意運動」の二つが重なって行われています。

 科学的身体観では、随意筋の筋力(随意運動の能力)を体力の指標としますが、これは理性のはたらきをも盛んにするものだからです(近代教育は学科により「理性」、スポーツによって「随意筋」を鍛える。西洋近代は「理性と随意筋」の文明と表現できる)。

 これに比し野口整体では、随意筋・不随意筋の区別なく、全ての筋の脱力を薦め、「下腹で呼吸する」という丹田呼吸を目指すものです。これは、野口整体が日本の伝統的身体観に根差しているものだからです。

 下腹で呼吸する身体を、かつては「自然体」と呼んでいました。これ(自然体)を保持する上で脱力が肝要なのです。そして、人間の自然の相は、「恐怖や驚き」だけではなく、日常的に体験する「怒りや煩悶」などによっても損なわれるのです。

 こうした、情動による「硬直」に対し「人間の自然を保つ」ため、脱力を図る行法が活元運動です。

 私が無意識の場と考えている骨盤部には「呼吸活点」という急処があり、腰椎四番の外側から内側に入った処です。骨盤の動きが良いことは、自ずと呼吸が深いのです。体の力を発揮する上で呼吸が深いことが何よりなのです。