禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第二章 二6 心も弛める活元運動②
②整体の心「天心」を保つには鍛錬が必要
師は天心を保つことについて次のように述べています(『月刊全生』)。
大人の天心 1973年5月整体指導法中等講座
人間は智恵があれば智恵を鍛えて、万全に逞しく生ききり得れば、それが清田自然です。私が無心とか天心とか言っていますが、赤ちゃんにそんなものは求めないのです。
赤ちゃんは天心以外の何物でもないから、赤ちゃんには俗心を持つべく教えております。大人には天心を持てといいます。大人が天心になるのは大変なことです。それがもし赤ちゃんと同じ天心になったとしたならば、大人は俗心を超えてきたのですから、鍛錬されぬいた天心です。
だから赤ちゃんの天心には自然を観ないが、大人の天心には私は自然を観るのです。自然というものに私は、そういう鍛錬しぬいた一点というか、何かそういうものを観ているのです。
だから大人が無心になれば、根性の悪い人が天心になれば、それは見事なものです。赤ちゃんが天心になるのは少しも見事ではない。赤ちゃんは天心以外にならないのですから。
養生でも自然に鍛えられて強くなって、何もしないで丈夫ならばそれが一番よいのです。病気になったら、病気に鍛えられて丈夫になっていけばよいのです。
…人間の体で一番健康状態に関連があるのは体の弾力であります。つまり体や心に弾力を持っていないと体の自然の状態といえないのです。硬張って、歳をとって死ぬのも当然だけれども、生きていくという面からいうと、硬張っていくのは正常ではないのです。
それで体の弾力を、或いは心の弾力というものをどのような状態でも持ち続けるということに於いて鍛錬という問題が出てくるのです。大人になって天心を保つのは鍛錬が要る。
いろいろな問題があって、自然の気持ちを保てないような状態のときにでも尚保ち続けるというのはやはり鍛錬です。
心の流れが悪くなった、という時は、その内容を無意識的に考えることを敢えて止め、まず「自然体」に戻ることで、自然な「川の流れ」を取り戻すことです。
これまでうつ気味であった人が、活元運動に精力的に取り組むようになり、良い運動が出るようになった時、その様が「流れるように」観えたことがあります。この時、本当に人に具わる「自然」を感じます。
古語に「流れる水は腐らない」とありますが、人の「身心」も同じで、流れが良いことが何よりです。流れれば、「心は治まるところに収まる」のです。この治まるところが「肚(丹田)」というもので、日本人は伝統的に大切にしてきたのです。
良い活元運動が出て、こだわりが抜けると「気」が入って来、スーッとして「無心・天心」になるのです。こうなると、「自分が戻ってきた」と表現する人もあり、「世の中が明るく見える」「新しいことをしたくなる」など、主体性を取り戻したことで意欲が出て来るのです。
これは、うつ傾向の人に限らず「閉鎖系」であった状態が、外界との関係性が変わり「開放系(註)」になったことで、良い空想がはたらくことから、何らかの意欲が生じてくるのです(外界との関係性が変わる=心の窓が開く)。
整体とは「良い空想ができる身体」なのです。
(註)開放系 外界と気の授受が行われている状態。