野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第七章 禅文化「道」としての野口整体― 瞑想法(セルフコントロール)と心理療法 一 4

野口整体の「整体」という行法と「全生」思想― 裡の自然を掴まえ、要求に順う

 師野口晴哉は、人間における「自然」と活元運動について、次のように述べています(『月刊全生』)。

裡の自然

近頃〝自然〟ということが盛んに言われています。つまり、山へ行けば自然であるとか、木が在れば、それで自然だとか言っているが、そうではない。一人一人の人間の生き方が体の要求に沿っていくことが自然な生き方だ、と言わなくてはならない。

そういう意味で、山に登ったからといって自然に近付くわけではない。眼をつぶって、自分の意識をなくして、もっとその奥にある心に触れるとか、自分の無意識の動きに生活を任せる方が、却ってその中に自然というものがある。

だから外にいろいろ求めるよりも、自分の裡の自然を先ず掴まえだすべきで、それには活元運動は近道です。

   師の「自分の意識をなくして、もっとその奥にある心に触れる」という思想は、「無意識に信をおく」瞑想法の体験から生まれたもので、その瞑想法とは「動く禅」とも呼ばれる活元運動です。

 そして、野口整体の「無心・天心」という言葉は、身心の「自然・じねん(本来あるがまま)」を教えるためのものです。 

「自分の健康は自分で保つ」という気構え(自分が生きるという「主体性」の自覚)を持ち、正坐を通じ「上虚下実」の身体を養うことで、無意識との関係性を確かなものにすると、「裡の自然」を自覚することができるようになります。

 これを、体と心の両面で導くのが個人指導です。

 師は「裡の自然を掴まえる」ことと、人生を生きる態度を、次のように述べています(『月刊全生』晴風抄)。 

健康の原点

健康の原点は自分の体に適(かな)うよう飲み、食い、働き、眠ることにある。そして、理想を画き、その実現に全生命を傾けることにある。

どれが正しいかは自分のいのちで感ずれば、体の要求で判る。これが判らないようでは鈍っていると言うべきであろう。体を調え、心を静めれば、自ずから判ることで、他人の口を待つまでもあるまい。旨ければ自ずとつばが湧き、嫌なことでは快感は湧かない。

楽しく、嬉しく、快く行なえることは正しい。人生は楽々、悠々、すらすら、行動すべきである。

   身体(無意識)には、人生の羅針盤ともいうべきはたらき(勘・直感)が具わっており、これが、きちんとはたらくことで自身の健康を保ち、また、生活でのさまざまな局面で、「どう捉え、どうすればいいか」が分かるようになるのです。ここに「生き方」があるのです。

 全力を発揮する(全生命を傾ける)には、体(裡)の要求に順うことが大事であり、これには、「体を調え、心を静め」る(調身、調心)、それは、統一体になること(意識と無意識の統合)が肝要です。

 このような身体を目指すのが、野口整体の「整体」という行法であり、その心を導くのが「全生」思想です。

 野口整体では、さらに、病症を、身心が全体性を取り戻そうとする「要求」と捉え、病症の自然経過を通じて「整体」へと進んでいきます。

「整体」に進むと、「裡の要求」に沿った生活を求めるようになりますから、これまでの生活を改めたくなってもきます。

「身体のありようと生活」は心の「内と外」ですから、内が整わなければ外側も整ってこないのです。

 これが整体生活の道筋です。