野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第二章 野口整体の生命観と科学の生命観二3

 申し訳ありません。前回、二3を飛ばして4を掲載してしまいました。

更新の上、3を公開させていただきます。(近藤)

3 自然治癒力は開放系の機能に由来する― 東洋文化の特質は主観的・経験的

  東洋の「連続的自然観」について、石川氏は次のように述べています(『西と東の生命観』)。 

文化の相補性

…東洋では近代科学は発達しなかったが、連続的自然観を土台として、西洋とは異質の文化が発達した。インドにはヨガや、中国医学の源流となったアーユルヴェーダがあり、中国には気功や中国医学があり、日本には神道の文化的伝統(自然崇拝)がある。

これらの伝統文化は、いずれも人間の生命を心と体と環境がつながり合ったシステムとして認識している。人間の生命に対するこのような認識の仕方は、近代科学が土台としている閉鎖系モデルとは本質的に異なっており、現代の用語で開放系モデルと呼ばれる自然観に近い。

…生物は閉鎖系モデルで記述するよりは、開放系モデルで記述する方が、はるかに現実に則している。なぜならば、動物の個体は呼吸や水・食物によって絶えず外界とつながっており、細胞もまた新陳代謝という形で外界とつながっている開放系とみなすことができるからである。

しかも、自然界がひとりでに秩序を形成するのは開放系のみで、閉鎖系では自発的な秩序形成が起こらないことが知られている。生物の秩序形成は基本的には開放系の機能に由来するといわなければならない。

したがって、温暖な気候風土の中で形成された開放系モデル的な生命観は、近代科学の生命観よりは総体的には自然の姿に近い。

しかし、この生命観では必然的に心という主観的要素を含むために、近代科学のように客観性を重視する学問は発達しにくかったのである。しかし、心身の統御に関する種々の技法(その一つが野口整体)や文化的技法は西洋文化よりもはるかに奥深い内容をもっている。

このような意味で東洋文化の特質は主観的・経験的であり、近代科学の客観的な特質と対照的である。

近代西洋科学を「客観主義的経験科学」と呼ぶならば、ヨガや気功、中国医学は「主観主義的経験科学」とも呼ぶべき特質を内包しており、西洋科学と相補的な役割をはたす文化として再評価される時代にさしかかっている。

   石川氏は、東洋の連続的自然観においては、今日、健康法と呼ばれるヨガや気功、あるいは医術の発達があったと述べています。そして、氏は野口整体の内容について多くご存じではありませんが、ヨガや気功など東洋の身体智が、科学に相補的な役割をする「主観主義的経験科学」と表現されているのは、整体指導者の私には「我が意を得たり」というものです。

 そして「自然界がひとりでに秩序を形成するのは開放系のみ」と述べていますが、自然治癒力、また「疲労回復力」は、「生物の秩序形成」機能であり、これは「開放系の機能に由来する」と表現することができます。

 生物、ここではとりわけ人間が、開放系として機能することを考えてみます。「開放系として機能する」とは、秩序形成能力が高いということで、第一には、日々の身心の疲労が睡眠によって回復することを指します。それには、何より「脱力」が肝要なのです。身体の脱力というものは、実は、これは心に、それは感情のはたらきに大きく関わるのです。

 師野口晴哉は、眠るときの心得として、中村天風師と同じく「憎しみや悩みを眠りの中に持ち込んではいけない」と説き、とりわけ脱力を薦めています。

「身心」の弾力が良い人は、負の感情(怒りや不安など)が起きても、その思い(想念)がじきに離れるものです。

 その思いにしばらくは支配されていても、体が弛み心が動くと、負の想念がすっと自分から離れる(=無心となる)のです(天風哲学は、この意義を明確に示している)。

 そのような人は、個人指導で、始め「偏り疲労」があっても、情動について私に話した後、良い活元運動が出ると、途中「先程話したことが、今、どうでも良くなりました」などと言うことがあります。この時、この人は十分に「開放系」へと変化しているのです。

 それは、先程までの硬張りが弛み、身体に気が通り明るくなるのです(時に「憑(つ)き物が落ちる」と表現できる)。「身心」が、このように弾力を取り戻すことが「個人指導」の目的です。

 そのため私の個人指導では、相手の身心が「開放系」であるかどうかが重要なのです。

 このように、人を、環境との「関係性」(会社や家庭などでの人間関係)において捉え、その人の「心のはたらき」を観ています(=「生活している人間」として観る)。

 しかし、このような視点が全くない身体の見方は「閉鎖系」として、換言すると「機械論」的に見ていることになります。

 開放系という概念は、「気」を中心とする野口整体の人間観の新しい説明として特に役立つものと思います。

 また氏は、同著の次の項「閉鎖系モデルと開放系モデル」で、閉鎖系から「複雑系」へと発展した現代物理学について、

自然をつながり合ったシステムとして認識する開放系モデルは、理論的取り扱いが複雑となる。そのため、19世紀から20世紀前半にかけての近代科学の発達の中ではあまり注目されなかった。しかし、20世紀の後半になると、開放系モデルに基づいた自然の研究がいろいろな形で進展するようになってきた。

と述べています。