野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅文化としての野口整体Ⅰ 活元運動 第三章一3 活元運動が活発になる

 Yさんは、初めての個人指導を振り返り、次のように述べています。 

 初めての個人指導は2012年6月3日でした。

 最初のご挨拶は、腰痛のためお辞儀さえできなかったのですが、指導の中で活元運動が出始めると、その痛くて固まった腰が、自分の意識とは関係ないところで動いたことに大変驚きました。

 また、母に対する不満の言葉が勝手に口から出て、泣き出した自分に戸惑いました。(具体的な内容は全く覚えていないが、そういうことを思ってしまうことに罪悪感を抱いた)

 初めての活元運動はとても気持ちよく、ジェットコースターに乗っているかと思うほど頭がグルグル回って「なにこれ!どこへ行くの私?…」という感じでした。その日の個人指導の終わりに、正坐から立ち上がる方法を先生に教えていただきました。ぎこちないながらも、立ち上がれた事がとても嬉しく、金井先生の個人指導に手応えを感じました。

 Yさんには「感情を過度に抑制する傾向」があり、私が観察しても、背中の表情としての「感情」が読み取りにくい状態(混沌、また混乱を意味する)でした。

 彼女は小学校の数年間、教会に通っており、毎晩聖書を読み、「神様に愛され、幸せになるためには、良い行いをしなければいけない。」と信じていたそうです。

 ある時、私が仕事の前に、道場の前でのバイク騒音に対し強く苦情を言ったことを、彼女が見聞きしたのですが、その後、私が何事もなかったように、普段通り仕事に専念している姿を見て、自分もこうありたいと思ったそうです。

 またYさんは、私の本にある外反拇趾についての、「本気で生きてないとなり易い」(『「気」の身心一元論』117頁)という内容に対して、「本気で生きて、外反拇趾でなくなりたいと思います」と告げたこともありました。

 活元運動が活発になるにつれ、その中で笑い転げたり、また激しく動いたりするようになりました。

捕捉(文責・近藤)

 たびたび間が空いてしまい申し訳ありません。

 後半にある金井先生のバイク騒音についてのエピソードですが、こういう時決して先生は平然としていたわけではなく、一日の指導が終わった後はやはり疲れの色が出ているものでした。また情動を鎮めるためには相当に鍛錬が必要であり、それは「何事にも動じない」ということではありません。情動で身心が動いた後に、戻るべき地点が確立しているということです。

 外反母趾については足の指だけではなく腰の問題があり、金井先生はその意でこのエピソードを挿入しています。

 Yさんの活元運動についてはスタンダードではない要素を含んでいるため、この人の治癒へのプロセスとして読んでいただきたいと思います。