野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章一2

今回の文章に「2005年秋より後継者養成のため「整体指導法講習会」を始めましたが…」というところがありますが、私はこの時に入門した一人で、「団塊ジュニア世代」でもあります。

 先生は団塊世代に当たるわけですが、この団塊世代そのものが新世代の日本人だったわけで、金井先生は、野口先生から直接教えを受けた人としても、最後の世代に属します。そして、19歳から整体の道に入ったがゆえに東洋宗教的文化を体で吸収することができたのです。

 そういう先生が、子どもの世代と言って良い私たちをどう見たか。これが今回の主題です。

 若者世代との「隔たり」を痛感してきた数年間 

 日本人にとってのこの七、八十年の社会の変化、それは戦争と敗戦、そして敗戦後の混乱に続く高度経済成長とその後の爛熟(バブル経済とその崩壊)です。

 そして近年では、科学技術がもたらした物質的豊かさの「影」の面から、無意識に「魂」を求めての「スピリチュアリズム」が、日本でも盛んとなっています。

 初出版後、個人指導に通う人の中から、野口整体を学びたいという人が増え、2005年秋より後継者養成のため「整体指導法講習会」(少人数ながら1993年より整体操法練成会として行っていた)を始めましたが、野口整体の世界を伝えていく上での難しさを、改めて感じたその後の数年間でした。

野口整体を「体の感覚で理解する」には、塾生たちとの間に大きな隔たりがあることを、強く感じるようになったのです。

 その第一は、野口整体の「気の世界」は、決して「軽いスピリチュアリズム」ではないということです。

 第二は、伝統的な身体文化(「腰・肚」文化(註))を教育されないで育った人は、学びの当初、私と「身体性」による感覚を共有できないという点です。

(註)「腰・肚」文化 腰肚文化とは、斎藤孝氏が『身体感覚を取り戻す』

(NHK出版 2000年)で伝統的な身体文化に命名したもので、腰・脚・足を鍛えることで、「肚・丹田」を身心の中心と成すための日本の伝統的な身体文化を指す。

 第三は、現代の若者は、敗戦後の日本社会を工業化するため、科学技術振興のための「知識偏重教育」で育っていることで、「意識・理性」に偏っているという点なのです。

 野口整体は、「身体性(註)」と「無意識智」を重要視するものです。これは、「身心一元論」を基盤とする伝統的な東洋宗教に根ざしており、身体の「行」によって自己を成長させる智なのです。

(註)身体性 野口整体での身体性は、とりわけ「型と身体感覚」、潜在意識を重要なものとする。

 野口整体は、日本の伝統である「修行」、それを精神論に偏ることなく、「風邪の効用」「体癖論(註)」など革新的な思想の裏付けとともに、身体(身心)的な実践(プラクシス)として成立した体系であると言えます。

(註)体癖 師野口晴哉が開発した人間の観方で、身体的特性(腰椎を中心とした体運動・体型)と感受性を一つのものとして研究した体系。 

 整体指導者養成の上で、師野口晴哉は「勘を育てることが一番難しい」と言われていました。私がこの道に入った頃の時代でも、「指導者として必要な勘」を磨くことは容易ではありませんでしたが、戦後教育の影響により、年を経るごとに日本人的な感覚が変わってきたことを痛感しています。

 これは、家庭教育にも原因があり、敗戦後の家父長制度の廃止、母親不在を生み出した高度経済成長、という時代を通じた社会全体の変化です。

 また、先に挙げた第二の点と大きく関わるものとして、敗戦後の日本人の宗教心「道(どう)」というものの喪失があります。

 かつては「人生は修行である」として、その基本に家庭での「正坐」がありました(これは、禅修行が一般化されたもの)。

「道」を体現するための「型」が「腰・肚」文化であり、正坐が「型」の基盤となっていたのです。

 敗戦後は、これ「道」を失いました。

 こうした敗戦後の日本人の生活様式の変化によって、少年や若者が模倣すべき様々な価値ある文化基盤を失いました。

 そして、敗戦からの科学万能主義という風潮によっても、伝統文化が、非科学的・非合理的とみなされ、切り捨てられて来たのです。

 戦後生まれの私自身が、野口整体の道に入るまで、当時優勢であった科学至上・金銭至上の価値観を持つ大人たちの中で育ってきましたが、こうして育った私の世代(団塊世代と呼ばれる)によって育てられた次世代は、伝統文化が全くというほどに分からなくなっているのです。

 このように育った「団塊ジュニア団塊の世代の子供世代)」と呼ばれる世代との、精神的基盤の大きな違いによる溝を、どう埋めるかということが、私の抱える問題です。

 この日本における、東洋宗教的伝統の喪失と近代科学的教育によって生じた、若者世代との「隔たり」を埋めるべく、現代人に「訴えることのできる」表現とは何かを、当会の講習会を通じて深く考えるようになりました。

(註)スピリチュアリズム

 1998年、WHO(世界保健機関)委員会は、従来の健康の定義を見直す動きがあり、1999年に魂の健康すなわち霊的健康ということばを加えた。

 これまでの『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、身体的、精神的および社会的に安寧な状態である』という定義から、『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、肉体的、精神的、霊的(スピリチュアル)および社会的に完全に良好な力動的状態を指す』と改めようという提案だった。

「霊的に健康である」とは、心の一番深いところから生きる力が絶えず溢れ出ている状態を指している。

野口整体と科学 序章一1

本書へのアプローチ― どのようにしてこのような思想に至ったか

 

一 なぜ、科学をこれほど持ち出したのか― 本書がどのようにしてできたか

 

初出版以後の私の軌跡― 野口整体の社会的立脚点を考察する

 『病むことは力』初出版(2004年6月22日)直後からは、筆力の余勢を得て、個人指導や活元指導の会に通う人たちに伝えたい内容(初出版執筆を通じて必要と考えたこと)を、一年半の間、情熱のままに書き続けました。

 これは、もとより『病むことは力』の内容だけでは、「野口整体金井流」を半分も伝えることができないという思いが、強くあったからです(当会の会報Ⅰ~Ⅳは、この時の文章が基となっている)。

 これが終わる頃、『月刊MOKU』(moku出版)よりの取材(2005年12月30日)で掲載されたのが『「心を考える」は流行でしかない』という記事です。

『病むことは力』の「終章 日本の身体文化を取り戻す」では、「野口整体の源流は日本の身体文化」と記しましたが、この言葉の中には「野口整体を生きてきた私、日本の伝統文化、そして、これと断絶した現代日本人」、この三つが一体となっている「私の想い」が込められています。

 この終章が一つの形を取ったのがこの記事でした。ここでは、「考える」ことばかりになって、「感じる」ことが忘れられたことで、「心が分からなくなった現代人」について述べています。

『病むことは力』を取り上げてくださった、moku出版の中嶋隆さん(当時の取材記者)に改めてお礼を申し上げたいと思います。そして、これは中央公論社の元編集者であった写真家、清野賀子さん(故人)の協力によるものでした。

 お二人の力添えにより、この、当時の傑作ができたのです。

 今回(2008年4月以来)の著作活動、「科学の知・禅の智」シリーズ・『近代科学と東洋宗教』上・中・下巻の内容は、この記事(巻末に収録)にすでにそのもとがあったと、感慨を深くするものです。

  そして、初出版を縁に、『秘伝』(武術誌)『月刊MOKU』、『大法輪』(仏教誌)『月刊手技療法』(手技療術誌)などの専門誌から取材を受けた私は、医療・教育・宗教(生き方)を包括する野口整体の「継承者」という立場から、初めて「野口整体現代社会との関係性」を考えるようになり、これらの取材を通じ、「野口整体の社会的立脚点」について、次第に考察を深めて行くことになりました。

 また、本書の内容に至る要因として、さまざまな対外活動があったことが挙げられます。

 当会の2005年秋からの「整体指導法講習会」に新しい人達が集うようになったこと、その後の「朝日カルチャーセンター横浜(2006年5月)」での講座や、慶應義塾大学(湘南藤沢キャンパス・2006年7月)での講義などを経験したことは、私が現代社会と取り組む契機となりました。

 さらに2007年1月から『月刊MOKU』に15回に亘る連載を頂いたことは、現代を生きる人々と野口整体とのつながりを熟慮するステップとすることができました。ご縁を頂いた副編集長、良本和恵さんにここで改めてお礼を申し上げたいと思います。

 

『野口整体と科学』序章 身体性の衰退を観通していた師野口晴哉

 今回から序章に入ります。初回は「正座再考」の原文と現代語訳を紹介します。この文章が書かれた昭和六年という時代は、日本が軍国主義化を強めていく時代でした。

 一見、国粋主義的にも受け取れる表現がありますが、掛け声だけ勇ましくて、日本人の長所や美点が失われつつある現状に対する警告が本来の意です。

 

序章 本書へのアプローチ― どのようにしてこのような思想に至ったか

身体性の衰退を観通していた師野口晴哉 

正座再考

1931年(昭和6年)(『野口晴哉著作全集第一巻』養生篇)

 正座は日本固有の美風なり。

世間、腰抜け多きが為か、その後、脚が痺れるの、痛いのと、苦情頻りに至る。されど、正座は足を重ね、脚を折り、その上に腰を落着けることなり。腰より上を楽に、下を抑圧することがその精神なり。

脚が痛むも痺れるも、命に別条なきなり。潔く我慢すべし。我慢のできざるは、これ弱虫なり、腰抜けなり。力、腰の下に集まりて、丹田自づから充実し、頭脳静穏となりて、又五臓六腑が活動するなり。

偶々、人来りて胡座す。何故かと問へば、彼答へて「洋服なればなり、即ちズボンに皺の寄るを恐るゝなり」と。善い哉。されど、斯くては洋服の持主に非ずして、洋服の奴隷に他ならざるなり。何ぞその憐れなる。予輩江戸ッ子には如何にも真似もできぬ芸当なり。

 世相日毎に浮調子になり行くさまは、これにても明らかなり。

人曰く「正座せば脚短くなりて醜きなり」と。

 予応へて曰く「脚の短き何ぞ醜くからむ、脚短くも腰強ければ宜しきなり。角力を見よ」

 日本人の脚短きに非ず、外人の脚長きなり。されど人の中心は丹田なり。故に茲に力集りて健康となるなり。

 脚の長きは中心、丹田に存せずして股に下がるなり、されば空間なるが故に力の入れようなし、故に丹田充実の真効は、正座せざるものには味はひ得ざるなり。

人体の中心は丹田に在るが正しく、空間にその中心在るが如きは、正しからざること何人も首肯し得べし。力、中心に在らざれば独楽も回転せざるなり。

 徒歩して疲れたる時、脚を伸ばして寝れば、翌朝なほ疲労去らず、脚を折りて寝る時はよくその疲労を癒すなり、正座は脚を疲れしむるものに非ざるを知るべし。

正座して臍の下を向くは正しからざるなり、病弱なり、不調心なり、フラフラなり。臍が上に向かざれば、正座の効を味得するを得ず、臍の上向くまで正座すべし。二時間でも十時間でも可なり。

長時間、座したりとて足消えて無くなるものに非ず、大丈夫なり、心配無用なり。

 腰の強きは日本人の特色なり、これ正座によりて養はれたる結果なり。近代の人、腰の弱きは正座を忘れたるが為なり。日本人の国民性は、これらの人より漸次去りつゝあるなり。用心すべし。正座すべし。

但し腹に力を込めて気張る必要なし、正しく座せば自づから気力臍下丹田に充つるなり。気張りて丹田に力を込むるは、誤れり。

 ただ正しく座すべし。正座せば、疾病に冒さるゝも恢復力強し、正座せざれば老衰す、腰弱ければなり。

 腰は即ち生殖能力の中枢なり、老衰とは生殖能力の衰退の現象なり。婦人正座せざれば難産す。分娩の中枢は即ち腰なり。

 腰定まらざれば信念なし、信念なき人は進化せざるべし。正座し得ざる人は頼むに足らざるなり。

 人須らく正座すべし、これ日本人たる所以なり。

 

正坐を見直す(現代語訳)

 正坐は日本固有の美しい習慣である。

 世間では、腰抜けが多いせいか、正坐をすると、脚が痺れるの、痛いのと頻繁に苦情を言う。しかし、正坐は足を重ね、脚を折り、その上に腰を落ち着けるということだ。腰より上を楽に、下を抑圧することがその心(精神)である。脚が痛むのも痺れるのも、命に別条はない。潔く我慢しなさい。

我慢ができないのは、弱虫だ、腰抜けだ。(正坐をすると)力が腰の下に集まって、丹田がおのずと充実し、頭脳は静かに穏やかとなって、内臓が活動するようになる。

 たまたま、来訪者があって胡坐(あぐら)することがあった。なぜかと尋ねると、彼は「洋服だからです。ズボンにしわが寄るのではと心配で」と答えた。いいだろう。しかしそれでは洋服の持ち主ではなく洋服の奴隷に他ならない。なんと哀れなことか。私のような江戸っ子にはどうしてもまねできない芸当だ。

 世相が日ごとに浮ついたものになっていく有様は、これを見ても明らかだ。

ある人は「正坐をすると脚が短くなって醜い」と言った。

 私はそれに応えて言った、「脚の短いのがどうして醜いものか、脚が短くとも腰が強ければいいことではないか。相撲を見なさい」

 日本人の脚が短いのではない、外人の脚が長いのだ。そうではあるが人の中心は丹田にある。したがってここに力が集まることで健康となるのだ。

 脚が長いと、中心が丹田ではなく、股の間に下がってしまう、そうなれば空間であるから力の入れようがなく、それゆえに丹田が充実することの真の効用は、正坐しない者には味わうことができないものなのだ。

人体の中心は丹田にあるのが正しく、空間にその中心があるなどというのは、正しくないことは誰でも納得できるに違いない。力が中心になければ独楽も回転することができない。

 

 歩いて疲れている時、脚を伸ばして寝ると翌朝になっても疲労がなくならず、脚を折って寝る時はよくその疲労を癒すことができると同じく、正坐は脚を疲れさせるものではないことを知るべきだ。

正坐をしてへそが下を向いているのは正しいあり方ではなく、病弱であったり、心に乱れがあったり、フラフラしているのだ。へそが上を向かなければ、正坐の効用を味わい身に付けることができない、へそが上を向くまで正坐しなさい。二時間でも十時間でもよい。長時間正坐していても足が消えてなくなるものではない、大丈夫、心配は無用だ。

 腰の強いことは日本人の特色で、これは正坐によって養われた結果である。近代の人間が腰の弱いのは正坐を忘れたためなのだ。日本人の国民性は、このような人々から次第に失われつつある。用心しなければならない。正坐すべきである。

 ただし、腹に力を込めて気張る必要はない。正しく坐せば自ずと気力が臍下丹田に充ちるものだ。気張って丹田に力を込めるのは、誤っている(註)。

 ただ、正しく坐すことだ。正坐をすれば、病気に冒されても回復力が強い。正坐しないと老衰するのは、腰が弱くなるからなのだ。

 腰は即ち、生殖能力の中枢である。老衰とは生殖能力が衰退するために起こる現象である。女性が正坐しないでいると難産する。分娩の中枢は即ち腰なのだ。

 腰が定まっていなければ信念はない、信念のない人は進化するはずがない。正坐ができないような人は頼みにするには足らない。

 人は皆正坐すべきである、これは日本人であればこそなのだ。 

(註)気張って丹田に力を込めるのは、誤っている

 岡田式静座法などで説かれていた坐法を批判する意。上体の力が抜ければ自ずと下腹に力が入るため、野口整体では、下腹に力を入れるのではなく、上体(頭・頸・肩)の脱力を指導する。

野口整体と科学 はじめに5

如是我聞

 『病むことは力』第五章に表した私の高校時代の苦しかった思いは、当時が、高度経済成長という日本の敗戦による影響を受けた時代であったことによるものでした。

 そして、幕末・明治維新から敗戦後の高度経済成長に至る時代の背景には、「科学文明と、これを生み出した西洋の歴史」があったことを深く理解する過程が、この本を作る原動力ともなりました。

 科学は、個人の主観と切断された客観的・普遍的なものです。科学に対してはこのような理解の仕方が必要なのですが、宗教的な野口整体は、個人の主観も入っており、その上で普遍性があるものです。このような普遍性は「修行」によって培われます。

 ユング心理学の中心概念に「個性化(自己実現)」というものがあります。私においての個性化は、師野口晴哉に弟子入りすることに始まり、整体指導の道を精進してきた今日までの「修行」がその過程であったと思います。

 そして、私が捉えた「生き方=修養・養生」としての野口整体に、本書を通じて触れて頂きたいと願っています。

 本書の「西洋近代を通して『現代と野口整体』を、俯瞰的に観る視点」という内容にまで到達することができたのは、塾生の支えを始め、経験を与えて頂いた全ての人々のご縁によるものと、初出版以来の十年余を振り返っています。

 そして、ここを通じてあなたが求めている「パラダイムシフト(新しい生き方)」となることを願っています。

私は、野口整体の一継承者ですが、本書を通じて「如是我聞(にょぜがもん)」 ―― 私が45年余を通じて、このように師野口晴哉の思想を理解したことを感じ取って頂ければと思います。

2014年 大暑

 

(追記)

秋の首の冷え

野口晴哉

秋になって気温が急に下がり出すと、首の冷えによる体の異常が多くなる。

首が冷えると、体が浮腫んだり足が浮腫む。特にひどいのは小便が出なくなったり、胃酸過多から喘息、胸の痛みから背中の真中が痛んでくる。

また首が動かなくなるという徴候もある。

特に上下型はこの時期に影響を受け易い。脳軟化症とか、惚けるとか、頭へ血が行かない傾向の異常は、左の胸鎖乳頭筋を三分~五分、熱い蒸しタオルで温めることがよい。

逆に脳溢血とか、眼の角膜出血とか、頭の血が下がりにくい傾向による異常は、右の胸鎖乳頭筋を温めるとよい。

さらに頸椎の上と後頭部の境の頸上を八分温めると、それが保つようになる。

(解説)

 秋となっていますが、今の時期でも応用可能です。ここでは頭と胸部の間の血行を良くすることに重点が置かれています。暖房が強くなって乾燥度が高くなってきたら水を飲むことも必要で、血液の状態を保ち、血流を良くすることにもつながります。

 上下型とありますが、「頭で生きる人が多くなってしまった」現代は、体癖によらず注意した方が良いでしょう。

胸鎖乳頭筋というのは、首の耳裏の下あたりから前側の首の付け根の真中あたりまで、斜めについている筋肉で、左右両サイドにあります。

 このような季節の変化に対する体の適応能力は、ストレス状態にあると大きく低下し、野口先生が挙げている不具合は「不適応状態」といえるものです。

「自粛」という同調圧力は、時に「命令」よりもストレスになるものです。普段、整体を実践している人もいない人も、まず自分で体の状態を感じてみる、そして整える…ということを取り入れてみてください。

文責 近藤佐和子

野口整体と科学 はじめに4

「近代科学」を相対化し、「東洋宗教」を再考して野口整体の「思想と行法」を身につける

 野口整体に関心を持つ人においては、現代人の「心と体」の問題が、科学の時代において存在していることを知り、近代科学的な西洋医学の「思想と方法」と、東洋宗教的な野口整体の「思想と行法」を、相対的に理解することが肝要であると考えます。

 なぜ「野口整体の思想」をこのように著したかと言えば、それは、敗戦後伝統を棄て科学的教育のみによって西洋化した日本人が、野口整体の行法を身に付けつつ、その思想の理解を深めるには、「近代科学」の世界観を相対化し、「東洋宗教」を理性的に捉え直すことが必要と考えたからです。

(現代において標準的・常識的とされる物の見方が科学に由来するものと理解する。第一部で詳述)

 野口整体を現代に伝えるには、今や、「身体性」にだけ言及するのではなく、現代という時代の成り立ちを考慮し、野口整体を、一貫性を持った思想として体系的に著す(=哲学的・論理的に表現する)ことが先ず必要である、と痛感したのです。

 科学的に高度化した現代社会に生きる人々には、科学的思考は必須のものです。現代の人々には「身体性の衰退」と引き換えに「理性的(科学的)思考」の発達があります。ここに訴えるには「論理」つまり合理的説明が必要なのです。

 西洋の良いところとして、哲学・思想があります。それには論理性と体系化があり、これによって思想の伝達力が高いと思うのです。これは、理論(理性的思考)の持つ長所(註)だと思います。

(註)理論の意義

 世界の森羅万象を理解する上で、現実を単純化する必要があり、その役割を理論という思考が担う。そして、現実を原理や法則などとして、どの程度理解しやすく単純化しているか、ということが理論の本義であり、理論が確立されていれば初心者にとって学習しやすい。

 

  野口整体の行法・整体法(愉気法・活元運動・整体操法)を学ぶ上では、全生思想(野口晴哉著『治療の書』『風声明語』『偶感集』『大弦小弦』、野口昭子著『回想の野口晴哉』など)を理解、体得しつつ進むことが肝要です。

 それは整体法が、野口整体の生命観に裏打ちされたものとなるためであり、さらに、整体指導を行う者にとっては死生観を立てるという必要があるからです。

 野口整体は身体性によって(=体験を通してのみ)理解できるものですが、私は、その思想を理性的に(理論によって)も理解する必要があると説くものです(東洋宗教的であること、近代科学的であることの両立)。

野口整体と科学 はじめに3

 今回は、はじめに の後半部です。冒頭に「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」という野口晴哉先生の言葉が引用されています。

 しかし、「頭で生きていない」というのはどういうことなのか?と問われても、分からない人が多いのが現代ではないでしょうか。

 野口先生の最晩年に発刊された月刊全生を開くと、「健康に生きる心」と題して、潜在意識教育法講座の内容が二年程続いています。

「頭と体」を対として思う人が多いかもしれませんが、おそらく野口先生の中では、「頭と心」ではなかったかと思うのです。その心とは潜在意識であり、体から発する心です。それでは今回の内容に入ります。

 

科学の知・禅の智― なぜ科学の問題を取り上げたのか

 「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」(第一部第三章一 1より)

 これは、明治末に生まれ、大正時代に育ち、昭和を生きた師野口晴哉最晩年の言葉です。師は1976年に没しましたが、敗戦後の高度経済成長時代(1954年12月から1973年11月までの約19年間)が終わる頃から1970年代にかけて、度々講義でこの言葉を語っていました。

 これは、師野口晴哉が生きた時代を通じての「日本人の心の変化」であり、明治維新以来、150年の「日本人の体の変化」なのです。

 この背景には西洋文明「近代科学」がありました。

 ここ数年、私は戦前生まれの五氏(井深大・湯浅泰雄・石川光男・河合隼雄立川昭二)等の思想を通じて、科学哲学と東洋の生命観を学びました。

 これらの思想を通じて、私は野口整体とアカデミズムの世界とのつながりを見出し、近代科学の「心身二元論(心身分離)」と東洋宗教の「身心一元論(心身一如)」という、本書の核心となる思想を掴むことができました。

 本書は、このつながりのなかで、野口整体という智の歴史的な意味と、「現代における野口整体の社会的立脚点(立処(たちど))」について、私ができる限り考えようとしたものです。

 こうして科学の哲学性を研究したことは、禅や老荘を思想基盤とする野口整体の世界を科学に相対化して見極めることになり、野口整体の本質を改めて捉えることができました。

 本シリーズで言う「科学の知・禅の智」(=近代科学と東洋宗教)とは、「理性」と「身体性」(頭脳知と身体智)という相違なのです。

 そして、歴史的観点から現代での野口整体の存在意義を捉え、社会的立脚点を定めることができたのです。

 こうして私は、師野口晴哉が創立期から変わらずに目指した志を現代に実現するため、「科学の知・禅の智」シリーズとして著すに至りました。

 本書序章一では、このような思想に至った経緯を説明し、二では、井深大氏(ソニー創業者)の思想を表しました(序章は第一部理解のため必読)。

 第一部第一章~第三章に井深氏に続く二氏(石川光男・湯浅泰雄)の思想について表しました。

 序章の後は、第一部教養編(理論・思想)、第二部修養編(実践・行法)という構成となっています。

 第一部は、師野口晴哉が近代化の(近代科学と向き合う)中で産み出した「整体」という思想内容を深めたもの、第二部は活元運動の思想と体験談となっています。第三部は「後科学の禅・野口整体」と題し、禅や鈴木大拙氏に触れています。

「自分の健康は自分で保つ」ための活元運動を行じつつ、長い期間を通じて、行法の思想背景である第一部の内容理解を進めて頂ければと思います(先に活元運動について知りたい方は、第二部から読んで下さい)。

野口整体と科学 はじめに2 

身体を開墾する野口整体の源は東洋宗教―『病むことは力』終章からの取り組み

「日本の身体文化を取り戻す」という命題

  初出版『病むことは力』(春秋社)を、2004年6月、上梓することができました。取り掛かって一年九ヶ月後のことでしたが、師野口晴哉28周忌に合わせての刊行となりました。

 二作目の執筆が始まったのは、2006年のゴールデンウィーク明け(5月8日)のことでした。以来、現在に至るまでの間、とりわけ2008年4月より「科学とは何か(科学哲学)」に取り組んだことで、「身体観」と「生命観」の上で、私は次のような主題を捉えることができました。

 それは「近代科学と東洋宗教」という主題です。

 この主題を通じて、本書上巻『野口整体と科学 活元運動』、そして中巻『野口整体ユング心理学 心療整体』、下巻『野口整体と機械論的生命観 風邪の効用』として刊行する予定で、これらを「科学の知・禅の智」シリーズと名付けました。

 これらの書の動機は、『病むことは力』「終章 日本の身体文化を取り戻す」に始まっています。そこでは、「野口整体の源流は日本の身体文化」と少しばかり表現しましたが、本書ではこの内容について視野を広げ、「日本の身体文化」の源泉である「東洋宗教」とは何かを、「近代科学」を相対化することを通じて著すことになりました。

 相対化とは「一面的なものの見方を、それが唯一絶対ではないという風に見なす、また提示すること」です。

 私がこの道に入った1967年という時は、敗戦後から続く科学万能主義(科学教)という時代で、科学的な西洋近代医学が絶対視され、野口整体を良く理解する人は少なかったのです。

 日本の身体文化とは、一つには、日本で独自に発達した「道(どう)」を体現するための「身体性」を育てることを意味しています。それは、東洋宗教(神道、儒・仏・道教)に共通する「身体行=修行」を基とした、修養・養生としての(健康を保つための)身体文化でもあったのです。

 私は整体指導を通じて、この「道」の隠れた側面を再発見しました。全ての伝統的な日本文化は、このような「身体性」を基盤として存在していたというのが、この道45年余を通じて得た私の結論です。「身体性」の文化に通底する鍵は『肚』でした。

 野口整体は、このような身体文化の伝統を受け継ぐものです。

  野口整体が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。この時代は、洋の東西において近代の代替知(科学に代わる知)が模索された時代でもありました。

 この時代背景を溯って考えますと、その前には明治維新(1868年)、さらに大きく広げて歴史を俯瞰すると、維新の原因は西洋近代の科学文明に、そしてルネサンス、遥か古代ギリシア文明にまで遡ることができます。

 私は「近代科学と東洋宗教」という言葉に「西洋と東洋の世界観の相違」を象徴させているのです。

 本書は、21世紀の現代社会における「野口整体の立処(たちど)を明確にする」ため、その源にある東洋宗教文化と、明治以来の西洋・近代科学文明を、思想史的に(哲学的・歴史的観点から)考察することで著そうとしたものです。