野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章一2

今回の文章に「2005年秋より後継者養成のため「整体指導法講習会」を始めましたが…」というところがありますが、私はこの時に入門した一人で、「団塊ジュニア世代」でもあります。

 先生は団塊世代に当たるわけですが、この団塊世代そのものが新世代の日本人だったわけで、金井先生は、野口先生から直接教えを受けた人としても、最後の世代に属します。そして、19歳から整体の道に入ったがゆえに東洋宗教的文化を体で吸収することができたのです。

 そういう先生が、子どもの世代と言って良い私たちをどう見たか。これが今回の主題です。

 若者世代との「隔たり」を痛感してきた数年間 

 日本人にとってのこの七、八十年の社会の変化、それは戦争と敗戦、そして敗戦後の混乱に続く高度経済成長とその後の爛熟(バブル経済とその崩壊)です。

 そして近年では、科学技術がもたらした物質的豊かさの「影」の面から、無意識に「魂」を求めての「スピリチュアリズム」が、日本でも盛んとなっています。

 初出版後、個人指導に通う人の中から、野口整体を学びたいという人が増え、2005年秋より後継者養成のため「整体指導法講習会」(少人数ながら1993年より整体操法練成会として行っていた)を始めましたが、野口整体の世界を伝えていく上での難しさを、改めて感じたその後の数年間でした。

野口整体を「体の感覚で理解する」には、塾生たちとの間に大きな隔たりがあることを、強く感じるようになったのです。

 その第一は、野口整体の「気の世界」は、決して「軽いスピリチュアリズム」ではないということです。

 第二は、伝統的な身体文化(「腰・肚」文化(註))を教育されないで育った人は、学びの当初、私と「身体性」による感覚を共有できないという点です。

(註)「腰・肚」文化 腰肚文化とは、斎藤孝氏が『身体感覚を取り戻す』

(NHK出版 2000年)で伝統的な身体文化に命名したもので、腰・脚・足を鍛えることで、「肚・丹田」を身心の中心と成すための日本の伝統的な身体文化を指す。

 第三は、現代の若者は、敗戦後の日本社会を工業化するため、科学技術振興のための「知識偏重教育」で育っていることで、「意識・理性」に偏っているという点なのです。

 野口整体は、「身体性(註)」と「無意識智」を重要視するものです。これは、「身心一元論」を基盤とする伝統的な東洋宗教に根ざしており、身体の「行」によって自己を成長させる智なのです。

(註)身体性 野口整体での身体性は、とりわけ「型と身体感覚」、潜在意識を重要なものとする。

 野口整体は、日本の伝統である「修行」、それを精神論に偏ることなく、「風邪の効用」「体癖論(註)」など革新的な思想の裏付けとともに、身体(身心)的な実践(プラクシス)として成立した体系であると言えます。

(註)体癖 師野口晴哉が開発した人間の観方で、身体的特性(腰椎を中心とした体運動・体型)と感受性を一つのものとして研究した体系。 

 整体指導者養成の上で、師野口晴哉は「勘を育てることが一番難しい」と言われていました。私がこの道に入った頃の時代でも、「指導者として必要な勘」を磨くことは容易ではありませんでしたが、戦後教育の影響により、年を経るごとに日本人的な感覚が変わってきたことを痛感しています。

 これは、家庭教育にも原因があり、敗戦後の家父長制度の廃止、母親不在を生み出した高度経済成長、という時代を通じた社会全体の変化です。

 また、先に挙げた第二の点と大きく関わるものとして、敗戦後の日本人の宗教心「道(どう)」というものの喪失があります。

 かつては「人生は修行である」として、その基本に家庭での「正坐」がありました(これは、禅修行が一般化されたもの)。

「道」を体現するための「型」が「腰・肚」文化であり、正坐が「型」の基盤となっていたのです。

 敗戦後は、これ「道」を失いました。

 こうした敗戦後の日本人の生活様式の変化によって、少年や若者が模倣すべき様々な価値ある文化基盤を失いました。

 そして、敗戦からの科学万能主義という風潮によっても、伝統文化が、非科学的・非合理的とみなされ、切り捨てられて来たのです。

 戦後生まれの私自身が、野口整体の道に入るまで、当時優勢であった科学至上・金銭至上の価値観を持つ大人たちの中で育ってきましたが、こうして育った私の世代(団塊世代と呼ばれる)によって育てられた次世代は、伝統文化が全くというほどに分からなくなっているのです。

 このように育った「団塊ジュニア団塊の世代の子供世代)」と呼ばれる世代との、精神的基盤の大きな違いによる溝を、どう埋めるかということが、私の抱える問題です。

 この日本における、東洋宗教的伝統の喪失と近代科学的教育によって生じた、若者世代との「隔たり」を埋めるべく、現代人に「訴えることのできる」表現とは何かを、当会の講習会を通じて深く考えるようになりました。

(註)スピリチュアリズム

 1998年、WHO(世界保健機関)委員会は、従来の健康の定義を見直す動きがあり、1999年に魂の健康すなわち霊的健康ということばを加えた。

 これまでの『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、身体的、精神的および社会的に安寧な状態である』という定義から、『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、肉体的、精神的、霊的(スピリチュアル)および社会的に完全に良好な力動的状態を指す』と改めようという提案だった。

「霊的に健康である」とは、心の一番深いところから生きる力が絶えず溢れ出ている状態を指している。