野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第四章 三6 自己を知り、活かす生き方を目指して― 日本舞踊を通じて、「身心一元」の意味を悟る

(近藤)

 今回の内容に出てくる「身体サミット」は河野智聖氏が主催した会で、河野氏のご招待で金井先生と真田さんが訪れたと記憶しています。

 文中の青木宏之氏は「心身を開発する現代人のための体技」新体道という総合武道を創始し、「遠当て」という離れた相手に対する非接触の攻撃技を会得、筑波大学で行われた国際シンポジウム「科学・技術と精神世界」(1984年)で披露し、気のブームのきっかけとなったことで知られています。

 真田さんはこの後、花柳流の日本舞踊に入門します。少々唐突と感じるかもしれませんが、原稿にもそのつながりについては述べられていませんのでご了承ください。

6 自己を知り、活かす生き方を目指して― 日本舞踊を通じて、「身心一元」の意味を悟る 

 2010年11月23日、真田さんは東京で開催された「身体サミット」という対談と演武の会に金井先生と出席することになり、青木宏之氏の講演を聞き演武を見る機会を得た。

 真田さんはカトリックを信仰するクリスチャンだが、青木氏もクリスチャン(プロテスタント)であり、真田さんにとって神学に対する造詣が深い青木氏の講演は非常に興味深いものだった。

青木氏の演武は真剣を持って行われ、真田さんは「神との一体感を表しているかのようであった」という感想を述べている。信仰、霊性という心の領域が身体の技にそのまま現われた美しさを感じたそうだ。

 真田さんは、以前に中国の少数民族の舞踏家、ヤン・リーピンの公演を見た時のような感動を再び得て、日本の伝統に根差した身体技に強く惹かれるようになった。そして、「自分の心を身体でありのままに、自由に表現したいという渇望」が沸き起こったという。

 ちょうどその頃、真田さんの妻は日本舞踊を始め、その話を聞いた真田さんは「自分もやってみたい」と強く思い、花柳流に入門することにした。

 真田さんは日本舞踊の稽古で「足使い、腰使い、重心の置き方などが、日常の所作ととても違う」と感じ、活元運動を始めた当初に感じた「身体の不自由さ」をそこでも感じたそうだ。

 しかし、踊りの一つ一つの動きが少しずつ身についてくると、その所作の中で「躍動と静寂が一体となっているような感覚」を得ることがあると言う。

 それはスポーツでの躍動感とは異なった感覚で、スポーツでは筋力に依存するためか、強い躍動のあとには消耗感を感じる。その限界を超えるために筋力を高めトレーニングを積み重ねるようなものだ。しかし日本舞踊は、振りが身に着くと、それが自分の自然な動作そのもののように感じる。

 身に付かない時に感じる不自由さというのは、振りの通りに身体を動かさねばと考える私と、動かされる身体、という二元対立の中にある不自然さ・ぎこちなさであるが、動きが身に付くと、そのようなことを意識することがなくなり、快い動きとなる。

さらに練達すると、踊る人の生命の迸りが踊りの中に表れるのかもしれない。真田さんは、日本舞踊の稽古を続けながら、整体指導で気づきを得た「身心一元」は、このようなことに通ずるのではと考えるようになった。

 整体指導を通して、真田さんは少しずつ自分自身を理解する作業を続けてきたが、整体指導は自分を活かすことを学ぶ道なのだとも思っている。そして整体というのは、「真の自己に向って成長し、その生命を活かし全うするための修養の道」だと言う。

修養を通して身体感覚を涵養し、豊かな感性を養うことで、真に自分の内面を深めることができ、心身の一体性が高まる。知性と感性は一体となり、より明晰な知性、より豊かな感性へと成長する。真田さんは、身心一元であるとき、人間は十全に生きることが出来るようになるのだと悟った。

 一方、心身二元の状態では、頭(理性・知性)での認識に依存する。頭による認識のみで自分を理解しようとしても、真の自己を見いだすことはできない。真田さんは次のように述べている。

真の自己は、「かくありたい」と欲し、頭(理性)は、「かくあるべき」と考える。「かくあるべき」が「かくありたい」と一致しない限り、自身の裡は、対立と混乱が生じる。これが心身二元の致命的な問題である。

「かくありたい」と欲する自己を知り、そこに向って成長していくためには、身体感覚による修養を通して、身体に回帰し、真の自己を感ずることが肝要だ。理性はその後で働かせれば良い。

(金井)

 この「かくありたい」というのが、野口整体の「要求」というものです。

(近藤・以下、括りとなる内容のため全文引用させて頂きます。)

 この稿の纏めの最終段階となった2011年7月17日、整体指導において金井先生から「自らが人馬一体となれ」との言葉を頂いた。馬を御すために馬と一体となるには、その前に自らが「身心一元」となるという意味だ。

金井先生から言葉を頂き、私は一つの悟りを得た。身心一元となって生きることは、他者と対立せず、他者を活かし、自ら精進する道を歩むことである。

 人を支配するのではなく、人を活かす道、活人剣の道こそが、これから私が歩み修めていく道である。私は、自己理解が進む中で、大義を通すためであれば、人に嫌われ、恐れられ、疎まれることを厭わなくなってきたが、そのことで多くの敵を作った。そして私は、敵は必ず制するものと、これまで考えてきた。しかし、金井先生の言葉を踏まえ、これからは、気の感応を通して、自ら敵と一体となり、敵を活かし、転じて同志ならしめるための修養を深めていきたいと心に決めた。

 身心一元の修養は生涯続く。一歩、一歩、各日に歩もう。そして齢(よわい)を重ね、死を迎えるとき、限りなく豊かな自分であるために。

 

第二部 第四章 三5② 意識以前にある自分

 今回紹介する「意識以前にある自分」は、金井先生が入門した1967年に月刊全生に掲載された記事で、野口先生の若い人たちに向ける熱が伝わってくるような内容です。

 真田さんは、子どもの時に感じていたことがいまだに自分の感受性に影響を与えていることに気づく…という体験をしました。感受性の歪みは簡単に修正されるわけではなく、気づいた後も同じ穴にはまってしまったり、新たな歪みに気づいたり、さらに異なる潜在感情が潜んでいることに気づいたり…ということを積み重ねていくことがほとんどです。

 しかし、気づくことで「日に当てる」ことができると、真田さんの中にある「恐れ」は支配力が次第に弱まっていき、恐れを感じた時に身体的に自分を立て直していけるようになるのです。

 それでは今回の内容に入ります。今回は全文金井先生の原稿で、そのまま掲載します。

5② 意識以前にある自分

 三 1の「腹が空っぽ」、4の「肚」の体験、こうした身体的経験自体が、河合隼雄氏の「自我から自己への中心の移動(第一部第五章三で詳述)」というもので、ここから「主体的自己把持」へと進むのです。

 師野口晴哉は、「《潜在意識教育》意識以前にある自分」(『月刊全生』1967年6月号)の中で、「自分」というものを捉え直す大切さについて次のように述べています。

自分で作った自分

 私達が今「自分」と考えているもの、或いは自分はこういう事ができる、これこれこういう人間であるというように、自分が理解している自分は本当の自分の全部ではない。生れてから、意識し経験し、体験してきた事の総合が自分だと、みな思っている。つまり考え様によっては、それは生れてから自分で作り上げた自分である。

…意識して作られた自分、或いは他人の言葉によって「そうだ」と思い込んだり、自分の都合で「そうだ」と思い込んだり、自分自身で「俺にはこれ位の力しかない」とか、「俺にはこれだけしか力が発揮できない」とか言うように、いつの間にか自分に限界をつけて、これこれこういうものが自分というものの実体だと、自分で思い込んでいる。しかしそれは、「意識した自分」であり、「意識で作った自分」である。

…意識が心を造ってきた。赤ん坊でも、始めは意識は少いが、生まれてからは造っていく。その意識以前にも、やはり自分があった。自分があったからそれを意識するようになったのである。

 その意識以前の自分というものは、細胞をつくってゆく、子供を造ってゆく。眼球を造ってゆく、心臓を造ってゆく。皆そうやって、我々が今この世にあるような形になったのである。意識すら、意識以前の自分が作ってきた一つの働きなのである。

 人間の中には、もっともっと大きな力がある。無限の可能性を潜めている意識以前の自分に対して、意識して作った自分(自我)が非常に強固であるために、これが自分であるというように思ってしまって、本来の自分を発揮できなくしているのだ。意識で造ったものを打破する必要がある。

「意識で造ったものを打破する(自我の再構成)」ことで、無意識にある「潜在的可能性」が現れるのです。活元運動を真に行うことでなされる、一時的な「自我の消失」の繰り返しは、これを涵養するものです。

第二部 第四章 三5① 私を抑えていた「悲しそうな母の顔」― 幼いころの二つの思い出

(近藤) 

 この『野口整体と科学』の原稿にはないのですが、『「気」の身心一元論』収録の原稿には、真田さんが個人指導での「腹」の体験の少し前に、ふと思い立って子どもの時に住んでいた場所に行った時のことが述べられています。

 真田さんにとって、子どもの時の記憶は「総じて暗いという印象」であり、特に懐かしい温かい場所というわけではなかったのですが、なぜかそういう気になったのだそうです。

 この時、暗い漠然とした印象しかなかった子ども時代にも、楽しかった時があったことが思い出され、「どんより曇った記憶に薄明かりが射すようになった」と述べています。

 指導時にこのことを金井先生に話すと、先生は「現在が変わることで、過去が変わるのです」と言ったそうです。そして3、4の「腹」の体験を経て今回の出来事、というのが時系列となっています。

5① 私を抑えていた「悲しそうな母の顔」― 幼いころの二つの思い出

 2010年8月、真田さんは妻と北軽井沢を訪れた時、子どもの時の記憶が蘇りそれを妻に話すという出来事をがあった。

 それは、真田さんが3歳位の時のことで、これまで何度か思いすことはあったが誰にも話すことができなかったことだが、ぼんやりしていた記憶が克明に一部始終思い出されたのだった。

この記憶の中心になっていたのはその出来事自体と言うより、「母の顔」だった。

 幼かった自分がしでかした事で、困惑し悲しそうな顔をしている母。真田さんの中にはいつもそんな表情の母がいて、それは自分のせいだと思い込んでいたことに気づいた。真田さんは、いつの間にか自分のしたいように行動すると母悲しませることになる、という潜在意識が裡に形成されていたのだと思った。

 真田さんが小学校二年生位の時のことだ。隣にドイツ人の家族が越してきて、真田さんはその家のマックスという同い年の子と仲良しになった。その子はドイツ人学校に通っていたがあっという間に日本語を覚えてしまい、いろんなことを競い合う良い遊び仲間だった。

 ある時、二人は空き地に枯れ枝が積んであるのを見つけた。そして、この枝に火をつけて、その熱の力で空を飛び、どちらが高く飛べるか競おうという話になり、本当に火をつけてしまったのだった。

 炎は高く燃え上がった。空き地の隣に住んでいたお菓子の老婦人がそれを見て驚き、真田さんの祖母に知らせ、さらに駐在所の巡査にも通報してしまった。祖母は真田さんの母にとっては姑であり、家柄を誇りに思うタイプの人だった。

 火はしばらく後に自然鎮火したので真田さんは帰宅したのだが、玄関先に巡査がいて、祖母と何やら話をしていた。祖母は真田さんを見るなり怒った顔で母を呼ぶように言った。

 そして真田さんと母は、祖母の前で巡査にこっぴどく叱られてしまった。その巡査は母に「このような高貴な家の長男を育てるのだから、しっかりしろ」というようなことを言った。それはいかにも祖母が気に入りそうな言い方で、その時の母は本当につらそうな、悲しそうな顔をしていた。

 子どもだった自分が取った行動によって、母が祖母(姑)に叱られる…という出来事が繰り返されることで、「恐れ」とう感情がいつも真田さんを抑えるようになっていった。

 自分らしさを表に出し、思ったように行動すると、母を悲しませることになる…という恐れが、自分を抑え波風を立てないようにして処世する生き方に向かわせ、真田さん自身を本来のあり方とは違う方向に歪めていったのだ。

 その恐れは突き詰めると「嫌われたくない」という恐れだった。真田さんは母の悲しそうな顔を見ると、母に嫌われるのでは、母が自分を見限るのでは、と恐れていたのだ。この「恐れ」は、母のみならずこれまで出会った他者のすべてに感じてきたことだった。そして、本来の自分ではない在り方を「自分とはこういうもの」と思い込んでしまうようになったのは、こうした背景があるのだと思い当たった。

 真田さんは、周りを見て「こうすべき」と考えたことをする癖、そして潜在的な「疎外感」も母の愛情を失うことに対する恐れにつながっているように思った。

 身体感覚に注意を集め、感じることを深めていくことで、意識下に沈んでいる記憶が蘇る。真田さんは、それが自己理解を深めていくはたらきとなるのだと痛感した。

 野口整体の個人指導では、気による働きかけを通じて身体の中にある本来の自己を感じ、受容し、成長させる。私の場合、体癖を通じて本来の自分を知ることによって、自己認識を感覚と感情に根差した理解へと改めること(主体的自己把持)につながった。そこから、自分を成長させる歩みが始まるのだ。

 心理療法におけるカウンセラーの支援は主に言葉によるものだが、金井先生の指導を通じての認識の深まりは、言葉を介して自己の内にあるものを引き出し、受容することとは異なる実感がある。

第二部 第四章 三4 指導を通じ「身体と頭脳」の関係を知る― 整体とは調身・調息・調心

 そして、2010年7月の整体個人指導では次のような体験があった。

 それは、真田さんが勤務する組織で事件が起こった時のことだった。真田さんはその対応で、非常に動揺し混乱していた。

 この日の指導の終盤、金井先生は、深い沈黙の内で操法を行った。真田さんは、操法を通じて次第に「腰が据わる(腰がしっかりと定まる)」ようになっていくのを感じ、それとともに心が落ち着き、動揺が消えるという体験をした。そしてその翌日、金井先生に次のようなお礼のメールを送った。

昨日はありがとうございました。

 沈黙のうちにご指導いただいた終盤の数分間、私の中に中心が据えられていく感覚を覚えました。その瞬間、周囲に吹き荒れた暴風がやみ、静寂が訪れました。今は組織を守る道こそが大局と悟りました。

 本日午後、所轄庁に赴き、事件はすべて解明、解決に至った旨報告し、一切の疑義なく受理され事なきを得ました。これは紛れもなくご指導の賜物であり、厚く御礼を申し上げる次第です。引き続きご指導の程、伏してお願い申し上げます。

 真田さんにとって、「腹が据わる」という体験はかけがえのないものだった。真田さんは理性的能力の高い人だが、この体験を経て「理性ばかりを働かせると、状況的な詳細にとらわれ、本質を見失う」と悟った。これは「木を見て森を見ず」という状態で、結果的に判断に迷いが出たり、揺らぐことにもつながる。

 しかし、理性(頭)だけでなく、「腰」が同時に働いていると物事を大局的に捉えることができる。腰による判断は明晰で、問題解決力があり、自分のみならず周囲の人間をも納得させる。そして、腰と腹がしっかりと充実することは、心が充実するということでもあると体感できた。

 そして、金井先生はその後、

 腰が入った身体は「上虚下実」の状態で、「虚」とは鳩尾が柔らかく「実」は丹田に力が入ること。この反対に鳩尾が硬いと頭が良くは働かず、枝葉末節に捉われ本質が捉えられない。

という「身体と頭脳の関係」について教えてくださった。これは金井先生流「肚」の現代的理解だ。

 まずは、身体をきちんと整え(調身)、呼吸を深くし(調息)、無心(調心)となった後に考えをまとめる。勝負の時こそ、これが大切なのだと真田さんは悟った。そして「改めて、この道を歩むことで、精進したい」という思いに駆られた。

(金井)

 現代では、頭がはたらくことが心のはたらきだと思い、身体を忘れているのです。身体の上の方にある頭ですから、身体が安定した(心の落ち着いた)状態でこそ良くはたらくのです。

 敗戦後の理性至上主義教育は、日本の伝統的な「上虚下実」の身体教育(「道」文化)を喪失したのです。

 

(近藤)12月12日記事はお休みします。

第二部 第四章 三3 野口整体の道における修養は「身体を先立てる」

 この出来事があった後、真田さんは「野口整体の道は行であり、身体性の修養である」と考えるようになった。

 一般に修養と言うと、精神作用によるものと理解されがちであり、真田さんも修養を精神の営みだと捉えていたが、で述べた個人指導での「腹(肚)」の体験―心の空虚感を身体的に腹の空虚として感じたこと―は、こうした理解を覆すものだった。

 そして、身体感覚を通じて自分のありようを捉えたという体験によって、野口整体は身体を通して人の道を学び、成長する道程なのだと実感したのだった。

(金井)

 ここで言う「精神の営みと理解されがち」な修養とは、「理性による内省(理性で自分の心の中を観察すること。第一部第三章三 3参照)」に近いものですが、野口整体は、とりわけ「心を整えるに身体を先立てる」ものです。

(理性を精神(心)とする「心身二元論」と身心一如の「身心一元論」の相違)

 曹洞禅の開祖・道元の思想「身心学道」は、心が身体を支配するのではなく、逆に身体のあり方が心のあり方を支配するという「身体を心より上位に置いて重視する態度」なのです。このような態度は、禅のみならず、茶道や武道、舞踊など伝統的な日本文化に通底するものです。

(「道」文化を喪失した敗戦後は「身心一元論」から「心身二元論」へシフトした)

 この指導時、真田さんは金井先生から

「今、起きている問題が、自分と切れた『因果関係』によって起きているのではなく、潜在的な自分の問題点と関連して起きている、という捉え方をしたことがありますか?このような布置(註)的体験をした後の、自分自身の捉え方にどのような変化がありましたか?」

と問いかけられた。

(註)布置(ふちドイツ語・コンステラツィオーン)個人の精神が困難な状

態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくること。布置は、共時性の一つの現れであると考えられる。

 そして、真田さんの裡に「自らが変わらない限り、自らを取り巻く問題は変わらない」という2006年8月以来の命題が、再び浮上した。

 真田さんが腹で感じた空虚感は、「疎外感」というものだった。真田さんは、「この疎外感は、潜在的に自分の中にあったものではないだろうか」と思った。実はそれを、子どもの時から感じてきたのではないだろうか。真田さんはこの時初めてそれを意識したのだった。

 金井先生の問いかけの中にある、「これまで向き合ってこなかった自分の問題点」を見出し、向き合うことが私に今必要な修養なのだ。真田さんはそのことを身体に教えられ、整体指導者が介在するのはこのような修養を通して成長するためなのだと思った。

 整体指導者と指導を受ける人との関係は、日本で古くから受け継がれる師弟関係なのだ。真田さんは、金井先生は師として修養を導いてくださっているのだと確信した。

第二部 第四章 三2 個人指導を通じての感情の分化― 潜在意識の意識化とは表現すること・受け取られること

※今回の内容は全文が金井先生による原稿なので、そのまま掲載します。

(金井)

 私は1での指導時、「心の空虚感」と表現しましたが、この「虚」とは、彼が「職員たちの冷たい視線を感じた(=集合的無意識から離脱した)」ことで、「心に穴が空いた(個人的無意識の状態)」ことを意味するものです。

 彼が裡(身体の中心)で感じていたこの「空虚感」を、私が意図せず共有したことで、自ずと言葉になったのは、自発的な「感情の分化」というものです。

「感情の分化」とは、快・不快の情動が喜怒哀楽の感情へと発達していくことです。乳幼児は、言語化できない感情を他者に受け取ってもらう(身体接触と言葉がけをする)ことで、心が発達していきます。これを「感情の分化」と言い、成人になっても同様の過程を経て、心(感情)が発達していくのです。

 そして、情動による身体的変化を感じる能力である身体感覚が鈍く、その感情がどのようなものかを、意識化(言語化)できない状態を「感情の未分化」といいます。

 感情の未分化な人は、他人との共感や感情の交流(思いを伝える・自他の違いを理解する)が図り難いことで、人間関係が上手くいかず、ストレスを感じやすくなり、また、それがひきこもりや不登校、時に反社会的な行動につながることがあります。

(「共感や感情の交流」の能力は理性(合理)的な能力とは別物)

「心の空虚感」を自覚するとは、本人にとっては辛い体験ですが、これをきっかけとして「感覚や感情」の言語表現を多様にすることは、豊かな感性を形成して行くことになるのです。

 河合隼雄氏は、このような場における「関係性」について次のように述べています(『宗教と科学』Ⅱ いま「心」とは)。

1 深層心理学

深層心理学が発達してくるにつれて、治療者・患者の人間関係が極めて大切であることが明らかになってきた。つまり、治療者が「開かれた」態度をもっていないと、患者が自分の心の深い部分へと探索を行うことができないのである。

 これは患者のなかには、面接の後で、あんなことを話すつもりではなかったのにとか、まるっきり忘れていたことを不思議に思い出してしまったとか言う人があるように、二人の関係のなかで話題が変化し、そこに治療的意味が生じてくるのである。

 このことは、自然科学の発展のはじまりとして述べた、自と他を明確に区別して、他を対象化するという態度とまったく異なってくる。ここに深層心理学が科学性という点で重大な問題をかかえこんでくるのである。患者をまるっきり対象化して治療者が臨んだとき、患者としては自分の内面の深いことを話せないのは当然であろう。

 

 

第二部 第四章 三 科学的知性(教養)の持ち主が「身体性(修養)」に目覚める 1

 今回から三に入ります。真田さんは個人指導を通じて自分本来のあり方を思い出し、理性的のみならず、感情の強さを出して人に対峙していくことで突破口を開きました。こうして、出勤困難という事態は脱したのですが、その後も人間を相手にしていく場面での試練は続きました。

 真田さんはもともと経理や資産運営などの能力、合理的能力といった面は高い人であり、そうした評価があったから役職を得たと言えますが、管理職というのは人間を扱う場面(人事など)が増えるもので、先に上げた能力とは異なる能力が必要になってくるのです。優秀とされていた人が良い上司になるとは限らない…というのは、こうした理由があるのでしょう。

 私は金井先生とともに真田さんに話を聞いたりして原稿づくりに関わっていた頃、『気の深層心理学』というタイトルを考え、金井先生にも提案したことがありました。それは、今回の内容から連想した言葉で、今でも印象に残っています。

 それでは今回の内容に入ります。

1 身体から心(自己)を観る体験の始まり―「腹」の体験と身心一元論

 2010年、個人指導の意味と価値を理解した真田さんは心して個人指導を受けようという気持ちになり、忙しいさなかにあっても定期的に道場に通っていました。

 仕事の上では困難な状態が続いており、真田さんは管理職を二人解任し一人は解雇という処置をしなければならない時があった。人事について強い権限を持つ立場にあり、こうした処置はこれまで何度も経験してきたものの、この内の一人の男性に対する処遇で、真田さんは心を揺るがすような衝撃を受けることになった。

 解任しなければならない二人の管理職の内、一人は解任後も真田さんの下で別の職務に着かせ、在職させる計画だった。しかし、真田さんより世代が上であったこの人は、自ら辞表を提出したのだった。

 真田さんはもとよりこの男性を評価しており、信頼もしていたのだが、その潔さ、誇り高さに圧倒されたという。役職としては自身の方が上であり、権限を行使する側であったものの、人間としては自分をはるかに凌駕する、大きな度量のある人だと感じたのだった。

 この人の辞職を全職員に告げた時、多くの職員が彼に共感し、辞表を出すに至った彼に同情した。そしてその後、真田さんは職員から冷たい視線を向けられるようになった。

 同時期に、真田さんの直接の部下で期待していた数名の職員が、突然辞表を提出してきた。真田さんはなぜ自分の元から離れていくのか理解できず、自身の人間的な度量、在り方に問題があってこのような事態になっているのではないかと思った。

 このような時期、真田さんは個人指導で一連の状況について金井先生に話をしたことがあった。この時、指導中に金井先生が真田さんの腹部に手を触れたのだが、不意に「食べても、食べても充ちない、腹が空っぽのような感じなんです」という言葉が出た。それは真田さんは意識下で感じていたことで、それまでは言葉になっていないことだった。

 金井先生は「この腹の感覚が、今のあなたの『心の空虚感』を表しています」と言い、「腹は、精神的な『人間の中心』なのです。これからは、内側で感じている感覚や感情を、なるべく言葉にするようにしてください。できれば、それを身体的に(「からだ言葉」的に)表現することで、意識と無意識の統合性を図っていくことが大切です。」と言った。

 真田さんは身心一元論や「腰・肚」文化について、文献等を読んで学んできていたが、この「腹」の実体験は初めてのことであり、金井先生の言葉は衝撃的だった。

 真田さんは指導後、金井先生に次のようなお礼のメールを送った。

「腹」の空虚感、「食べても、食べても充ちない、腹が空っぽのような感じなんです」は、前回指導を頂いている時に、ふいに意識化されたものでした。指導を受けるまでの間にも、その感覚はあったのだと思いますが、意識化され、言葉で表現できたのは、指導に対する感応であると確信しております。

 これまで、『肚』について書物を通して学び、考えることがありました。しかし今回の、腹を感じ、言葉で表現することは、私にとって、一種の宗教的な体験でした。ここから自らの変革が始まる、という意味での深い体験です。

 真田さんは、自身の内にある空虚感を否定的には捉えなかった。むしろ腹で空虚感に気づくことができたことで、自身の腹を充実させ、「肚」のある人間になりたいという強い欲求を感じたという。

(金井)

「食べても、食べても充ちない」という時は、心が衝撃を受けており、味覚がはたらかなくなっている(美味しく感じないことで充ちない)のです。このような時、私が観察する(気で観る)お腹は、たくさん食べていても空っぽなのです。

 こういう時、やたら食べず、衝撃を受けた心を自覚し、反省的に気を鎮めることが肝要です(経過することで感覚(味覚を含む)が戻る)。

 こうして『肚』はできていくのです。