野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

自分のことから始まる金井流潜在意識教育 3

人間を観るということは

 私は野口整体に出会ってから『叱言以前』『躾の時期』『思春期』などを読み、そこにある野口先生の子どもを観るまなざしを通して、「愛するとはこういうことなのか」と思ったものです。そして「こんな風に子どもを産み育てることができたらどんなに素晴らしいだろう」とも思いました。あいにくその機会には恵まれませんでしたが。

 しかし次第に、本を通じて自分の中にある「子ども」を発見していくという読み方をするようになりました。そして整体の勉強を本格的に始めてみると、「整体式の出産・子育て」なるものを行う人の危うさも目の当たりにすることになったのです。

 

 野口先生は戦後、有段者(操法を行う指導者)のための伝授会で行っていた深層心理療法の講義を、素人の母親たちに向けて行うようになりました。それは有段者よりも母親たちの方が潜在意識の理解度が良かったからです。しかし、母親たちのための講義に有段者はごくわずかしか参加せず、それを惜しんでいた野口先生は次のように述べています。

 

子供は子供はと云っていると皆子供のことだと思っているのです。たまたま子供というのは何才位迄でしょうかと云う質問があったので、三才乃至七十歳と私は答えたのですが、そういう記録が出ていても、大人の問題とは気が付かないのです。叱り方でも褒め方でも、直ぐこれを大人の説得方法とみたり、刺激様式とみたり、大人の扱い方としてみたりしたらば、それですぐそのまま病人の扱い方にすれば、子供を病人と変えるだけで使えるのです。何故かというと私は、私の知っている人の全部は異常を起こした人間で、その人間を相手にして得た知識だけなのですから、潜在意識教育と云おうと、整体体操と云おうと、体癖と云おうと、何であろうと、異常のある人を掴まえた経験だけなのです。

・・・長い間異常を調節するという事をやってきた結果、攻める方(親)と受ける方(子)との、そのやり方でどちらにもなるのだという事が判って来ましたから、それを潜在意識教育として講義しているだけである。皆別々のものだと思っているがそれはおかしい。

 

 野口先生は「一人を丁寧に観ていることだ。そして子供の眼がいつもいきいき輝いているように導くことだ。それさえ出来れば、大人は簡単さ。大人の中にある子供を見て話しかければ、それでいいのだ」(野口昭子『朴歯の下駄』)とも述べています。野口先生にとって、異常を観る、調整するとは相手の中の子どもを観る、育てるということだったのだ・・・と思います。