野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

西洋医学の心身観・野口整体の身心観 1

はじめに

  金井先生の「野生の思考」についてこれまで書いてきましたが、ここからが本題です。「野生の思考:みすず書房」は、二十世紀最大の人類学者と呼ばれるフランスの文化人類学レヴィ=ストロース(1908~2009)の代表作の題名で、私はこの言葉が金井先生の感性を基とした思考の道筋にふさわしいと思い、借用させて頂くことにしました。

 先生の意向としては、「科学の知・禅の智」という野口整体と科学を対比的に捉えたテーマを打ち出していましたが、未刊行の原稿で使われている事情もあり、本ブログではこのような題を用いています。

 西洋医学は自然科学の基礎を基にして発達してきた医学で、今は「西洋医学」という言葉を使う場面は少なく、医学とは西洋医学を意味することの方が一般的であると言えましょう。

 同じ一人の人間を観察する上でも、西洋医学が観察することと野口整体が観察することには違いがあります。もちろん共通する部分もありますが、本質的な相違を理解することで、野口整体は何をしようとしているのかを理解することができると金井先生は考えました。そのことについて、私なりの理解を交えながら、金井先生の思考を少しずつ紹介していきたいと思います。

 もしかすると、西洋医学に対し批判的なニュアンスを感じられるかもしれませんが、西洋医学を批判することが目的ではありません。

 金井先生が亡くなる前日、ICUに入った時、病院の服を着て気管挿入をされ、機械をつけられた先生を見て、私は思わずその場で泣いてしまいました。

 すると、その取り乱した私を、看護師の若い女性が「感情を出してくださった方がいいんですよ。驚かれたんですね」と背中をなで、やさしく慰めてくれました。西洋医学の病院にも人間がいて、優しい手があることを、その人は教えてくれたのです。

 ただ、健康に生きるということを考える上で、病気に対する治療法(いわば対抗手段)を万全にしていくやり方には無理があるのではないか、と考えるのが野口整体なのです。そして、症状を消し去れば治療が完了するという手法、心理状態と身体を無関係とする身体の見方も取りません。その違いはどこから来たのか、その背景には何があるのか。こういうことを金井先生は考え、野口整体を学ぶ人に伝えていく必要がある・・・と考えたのです。

 野口先生がご存命の時代から、金井先生などの直接のお弟子さんたちの時代、そしてこれからは、野口先生に会ったことのない人たちが多くなっていく時代です。そういう中で、「整体とは何か」、整体では人間をどのように観、理解するのかということを、指導する側だけでなく、実践する人、整体に関心を持つすべての人に伝えていく必要があると思っています。