野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

科学的なものの見方の特徴「心身二元論」

 現在行われている西洋医学は、正確には「西洋近代医学」と言います。これは西洋の近代的医学の意で、西洋医学が自然科学の基礎を確立したのは19世紀になってからのことです。

 しかし、西洋医学の長い歴史の中には、西洋的なものの見方に一貫した原理があります。それをごく簡単に「ガレノスとヒポクラテス」で述べましたが、西洋医学が科学的になっていくにつれてはっきりしてきた明瞭な特徴が、「人間の体に起きる現象を物質的な作用としてのみ研究し、対処する」ということでした(医史学者の中川米造氏は、病人と病気そのものを区別して扱う医学を「病気中心主義医学」と呼んでいる)。

 このような「体に起きること(病症など)は心と関係がない」という考え方は、哲学的に言うと「心身二元論」に基づいています。野口整体を、ことに金井先生が説く「整体とは何か」を理解する上で最初に障りとなるのは、この「心身二元論」的見方が自分の心身観の基礎にあることなのです。

 しかも、ここで言う「心」は「意識している」心(本人に自覚のあること)ではなく「意識していない心」、潜在意識のことです。これは金井先生の著書『「気」の身心一元論』にも使われている文章ですが、野口先生は潜在意識について次のように述べています。

 潜在意識の問題というのは、体とくっついていると言ってもいいし、むしろ体の方にあると言ってもいい。意識でいくら鍛練していても、体の方がちょっと変わると全部変わってしまう。だから潜在意識というのは体にくっついている心と言ったらいい。心理学と生理学が別々になっているのは、観念とか意志とかいう体と離れた心、あるいは、せいぜい随意筋にくっついているだけの心を対象にしているために、心と体が分けて考えられているのだと思うのです。(『潜在意識 3』月刊全生)

 「観念とか意志とかいう体と離れた心、あるいは、せいぜい随意筋にくっついているだけの(随意筋を動かすことができる、という範囲の)心」というのが「意識」という頭を中心にした心のことです。

「意識」の他に「潜在意識」というものがあって、体におこる現象は「潜在意識」という心と一つである、というのが野口整体の「身心一元論」である・・・ということを、まず「知る」。最初に知るのは意識ですが、自分の潜在意識、体にくっついている心を通して理解していくのです。

 たとえば風邪をひいて辛い症状が出ている時、「なぜ風邪を引いたか」を心の領域にさぐる人は少ないかもしれませんが、普段の生活をしていて「心理的ストレス」とは無関係に起こる病症というのはまずない、と言うことができます。もっと言うと、心理的ストレスが分からなくなっていたり、気づかない時に病症は起きるものなのです(個人指導ではそのつながりを偏り疲労の観察と身体感覚を通じて共有し理解する)。