野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

私の中にある近代科学

 前回紹介した野口晴哉先生の文章の中に「心理学と生理学が別々になっている」という言葉がありました。心理学では心、生理学では体、と一人の人間の中では一体となっていることが研究対象として分けられている・・・ということでしたね。

 こうしたことが学問の世界で当然の前提となっているのは、近代科学の思考の枠組みが学問をする時の手法となっているからです。いまどき近代科学などと言うと、現代の学問はもはや違うという反論も聞こえてきそうですし、「脳の研究」をすることによって心の研究をすることができるではないか、という人もいるかもしれません。それに、病気の原因として「ストレス」が挙げられるのも一般的になって来ています。

 しかし、私たちが実際に自分の心と体に起きること、生活上で起きることに対処する時、やっぱり心と体は分けて処理しようとすることの方が多いのではないでしょうか。効くと言われる治療法や健康法、サプリメントや食事、薬、運動など、体に対して物質的に行う手段も知識も容易に手に入ります。

 その大元には、体に心が(または心に体が)どのように影響しているのかというつながりが分からない、感じられない、気づくことができないということがあると思います。体に影響を及ぼす心というのは、前回述べた「潜在意識」であって、普段の意識よりも深くにある心なのです。それは頭にある「考える心」というよりも体にある「感じる心」で、身体感覚と情動(快・不快、感情)が基となる心と言ってよいでしょう。

 そしてもう一つは、いのちある「生きている体」ではなく、物質的な側面から捉える機械論的な体の見方が私たちに浸透しているということがあります。

 心身二元論と機械論の二つは、行動から生命維持に至るまで、脳が首から下を一元管理しているという心身観にもつながっており、近代科学の二本柱と言ってもよい考え方です。現代の「常識」は近代科学の普遍性を基礎としており、21世紀の今になっても、近代科学は私たちに影響を与えているのです。デカルトニュートンは死なず、ですね。

 私は以前、1973年に行なわれた野口先生の初等講習会講座(初回)の記録を読んだことがあり、その中で野口先生が「技術を覚え、それを使おうとする前に、整体の立場、見方を理解してほしい」と訴えていたのが印象に残っています。

 金井先生が考えたことは、さらにその前に、これまで学校や社会に適応するために必要だった近代科学的知識と思考法が、自分のメガネやモノサシとなっていることを自覚する必要があるということでした。そのメガネやモノサシでは見えないこと、計れないことがあり、そこに焦点を当てるのが野口整体なのです。

 今の自分のものの見方、感じ方には、あるバイアスがかかっていて、認識できなくなっているものがある。整体を身につけるということは、それに気づき、感じる世界を広げ豊かにしていくことであり、それはずっと続いていくことなのですが、その着手として、自分の中にある近代科学の影響というものを考えてみて頂きたい、と思います。