野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体とは何かを考えることは、命とは何かを考えること

 金井先生の著書『「気」の身心一元論』(第二章一 1 近代文明と人間の問題)には、

一、「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」

二、「気のしっかりした人がいなくなった」

三、「たましいという言葉が使われなくなった」

四、「このままいくと頭のおかしい人が増える」

五、「いきなり刺す人が出てくる」

 これら五つの言葉は、高度経済成長末期・一九七〇年代(昭和四十年代後半)の師野口晴哉の言葉です。

 と、金井先生の心に入っていた野口先生の言葉が引用されています。そして、未刊の二作目の著書(第二章)で、金井先生は、

野口晴哉、昭和元年に始まる生涯を通じての活動、その中でも、とりわけ整体の思想は、近代科学の影響による医学の「心身二元論・機械論的生命観」に対する抵抗運動(レジスタンス)であったと、ここ数年の研究を通じて断言することができます。

 と述べています。

 私はこの五つの言葉、そして金井先生のこのような言葉を読むと、その「重さ」にたじろぎそうになります。そして金井先生は、野口先生が何に対して抵抗し、何を守ろうとしたのかを、次の世代に伝えなければという思いがあったのだと思います。

 こんなことを考えて、こんなことを書いて、飯が食えるかと言えば食えないし、何かが変わるのかと言えば何も変わらないのかもしれません。でも、ここを切り捨てて野口整体の思想が理解できるとは思えないのです。

 今、野口先生と同じ質で同じ仕事を一人でできる人はいないかもしれませんが、目指すところは共有できるのではないでしょうか。それが思想、理念というものの意味であって、ここを離れたら野口整体の命が失われる、いうものがあると思うのです。

 心と体は生命の両輪であって、もともと一つのものであり、それを気によって観察し、両面から働きかける・・・というのが、金井先生から学んだ整体指導というものでした。

 私はそこに、野口整体の命があると思っています。しかも、これからは、それを教条化するのでもなく、カリスマ指導者に従うのでもなく、自分が理解し、実践することで命を吹き込んでいかなければなりません。

 このブログを書き始めた時は、先生の「供養」のような気持ちが、どこかありました。また「遺す」というような気持ちもあったと思います。でもそうではなくて、整体の命をつないでいくために、まず自分がもう一度咀嚼し、言葉として取り出していく作業をしていこう・・・と思うのです。