自我から自己への中心の移動
河合隼雄氏はユングの「自我から自己への中心の移動」について次のように述べています(『心理療法序説』)。
3 自我と自己
……西洋の近代においては「自我」の確立が大きいテーマになった。・・・このような考えの背後には、人間が合理的に考えて行動してゆくとき、すべてのことを律しうるという確信があった。そして、自我の使用する武器として自然科学を手に入れたとき、その確信はますます強くなった。そのようなときに、ユングは早くから、自我を人間の心の中心とすることに反対していた。
・・・人間の意識のみならず無意識をも含めての全体性ということを考える必要がある、とユングは主張する。
ユングは・・・、自我(ego)が意識の中心であるのに対して、自己(Self)は人間の心の意識も無意識も全体を含んだものの中心である、と考えた。彼はこれを「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものでなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」と述べている。
…自我から自己への中心の移動ということは、実にドラスティックなことであり、ユングは、自我の確立を人生の前半になして後に、人生の後半において自己の認識が行なわれる、と考えていた。
ユングは20世紀初頭、精神科医として向き合ってきた「心の病」について、晩年次のように回想しています(『ユング自伝 1 思い出・夢・思想』)。
私はこれまで、人生の諸問題について不適切なあるいは悪い回答に安(やす)んじるとき、人は神経症的になることをたびたび見てきた。彼らは地位、結婚、名声、外面的な成功、あるいは金をため、それらを手に入れた時でさえ、不幸かつ神経症的な状態のままである。そういった人々は通常、非常に狭い精神的な範囲のうちに閉じ込められている。彼らの生活は十分な内容と十分な意味を持ち合わせていない。もし彼らがもっと広い高邁(こうまい)な人格へ発達できるのなら、神経症は一般に消失する。そのために、発達的なものの考え方は、私にとってはつねに最も重要であった。
ユングの患者は社会的適応の良い三十代後半以降の人で、ことに注目したのは「中年期」でした。彼はその時期を「人生の午後三時(老いや死の影を感じる時)」と呼びました。
それは、老年期の入り口としての人生の大きな岐路だからです(このような時期の訪れは人によって大きく個人差がある。またユングの生きた時代は三十代後半が多かったが、今は遅い傾向にある)。
ユングは患者と向き合う上で、その人が行き詰っていることを重視し、なぜ、現在に適応できていないのかに焦点を当てました。
ユングの意味する「行き詰まり」とは、現在を生きるエネルギーが失われていることによって、生きる意欲と、これまで自分が築いてきた生活・価値観に意味を見出せなくなっていることです。
それは、意識と無意識が離れた(自我が裡の要求と離れた)生活をしてきたことによって、その人が年齢とともに歩む、心と身体の発達の過程を歩んでいないことに因る、と彼は考えました。
戦前に日本に滞在し、禅や武道・芸道を修めた、ドイツ人心理療法家のデュルクハイムは『肚 人間の重心』という本を書きました。
その中で彼も「未成熟は現代の癌である。」と同様なことを述べています。心がずっと「若い時のまま」というのは人間の自然ではないのです。
本来、自我は一度確立した後、一定不変のまま一生変わらないものではありません。自我という表面の心は、心の「皮膚」のような働きをするもので、外界と内界を結んだり、区別したりしています。
そして、一生の間に何度も死に、新しい自我に再生することで、変化に適応し成長していくのです。
人生上の問題や病症はその過程で起こるとユングは考えていました。河合隼雄氏はこれを「自我の再構成」と呼び、金井先生はここにも重きを置いていましたが、今回はここまでとします。