野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

「近代科学」についての学び―禅文化としての野口整体Ⅱ 1

井深大氏の思想から始まった

要求と行動が一致すれば体力は発揮される

 食べたくなると胃袋が働く。何かしようとすると運動する筋肉が働く。呼吸器も働く。要求があるとそれに応じて体が動いていく。要求がなければ体は動かない。

 だから勉強しなければならないと思っても力は出ないが、もっと大きいことをやろう、その為には勉強が要るのだということが判り、勉強が手段になると、もっと気軽に勉強ができるようになり、疲れない。勉強が目的になると疲れてしまう。

・・・人間の中に要求を育てていない。要求を切り開いていない、要求を開かないままで行動を強いるからであります。

野口晴哉『月刊全生』)

  今日から禅文化としての野口整体Ⅱに入ります。

 この教材は、最初から順を追って進めていきます。津田逸夫氏の内容などすでにお話したことは簡略にしていく予定です。

 『病むことは力』を読んだことのある人は知っていると思いますが、金井先生は中学時代、優等生だったのですが、地元の進学校に担任教師の強い勧めで入学し、つまづいてしまいました。入学後、どんどん成績が下がっていったのです。

 先生は団塊の世代で、敗戦後の高度経済成長下の科学至上主義時代に高校時代を過ごしました。当時のことを先生は「私には経済戦士になるという思いがないわけです。「自分はどのような方向に進んだらいいのだろう」と悩んでいるのですが、こういうことには関心を持たれず、成績だけ追っかけられていました。これには意味を感じられず、反発するわけです。」と述べています(『「気」の身心一元論』巻頭記事)。

 勉強に身が入らず、三年生の冬には体育の柔道で左肘を脱臼、翌春には風邪が長引いた後、副鼻腔炎になるということもあったとのことです。そして先生は浪人することになりました。

 未刊の原稿中巻では次のように述べています。

予備校生になってからも、高校時代はなぜあんなに苦しかったのか(中学では好きだった勉強になぜ意欲を失ってしまったのか?)と、悩んでいました。これは、向かう先(将来への展望)がない故であったと思います。

私は野口整体を学び初めの頃、「自発的である」ことこそが、生命が輝く原理であり、「非自発的な生活をしていると病気になる」ということが分かってきました。自分の高校時代が暗かったのは、非自発的生活に原因があったことを悟ったのです。 

 心(自発性・意欲)を育てる、要求を開くという「志」のための教育はなく、画一的に競争へと追いこまれた当時の高校の方針は、科学的社会への適応のためだったと先生は述べています。

 以前にも書きましたが、野口先生は「どんなに世の中に良いことであっても、その人の体を壊すようなことであったならば、或いはそういうふうに育てられたために、その人が健康でなくなるようであったならば、それは間違っている」(『潜在意識教育』)と考えていました。

 このような背景があり、金井先生はかなり早くから潜在意識教育に関心を深めていったのです(そして、自発性と意欲を損なわせる「不快情動の滞り」を焦点とする指導を行うようになった)。

 井深氏は野口先生とも交流があった時期がありますが、幼児教育に取り組むようになってから野口先生の潜在意識教育を知った、と後に語っています(井深氏が幼児教育に取り組み始めた当初、意識が発達していない赤ちゃんや胎児に心はないという考えが「科学的」とされていた)。

 先生は、世の人が野口整体を知らないために、医療や教育のあり方に問題があると考えていましたが、井深氏その他五氏の思想を学ぶことを通じて「近代科学が人間に与えた影響」という普遍的問題として(これは野口先生の発想の原点でもある)考えることになったのです。

(註)五氏・・・井深大・湯浅泰雄・石川光男・河合隼雄立川昭二

その他、鈴木大拙中村雄二郎村上陽一郎・池見酉次郎がいる。