野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

禅とは無意識を啓く「修行」―後科学の禅・野口整体 5

禅とは無意識を啓く「修行」

 では前回の続き、鈴木大拙『禅と精神分析』に入ります。大拙氏は禅の無意識について次のように述べています。

…科学者は抽象を用いるのだが、抽象というものにはみずから発する力というものがない。しかるに禅はみずから創造の源泉の中に飛び込んで、その源泉の生命を、源泉そのものを飲みつくしてしまうのだ。この源泉を禅の〝無意識〟と言う。だが花は自分で自分を意識することはない。

 この花を花の無意識からめざめさすものはいったい何か。これが〝私〟というものである。テニスンは花を壁から引き抜いてしまったので、ここに失敗を犯している。しかるに芭蕉は垣根にヒッソリかんと咲いているいじらしい薺(なずな)を〝よく見る〟ことにおいて、その無意識から薺をめざめさせた。

 この無意識とはいったいどこにあるのだろうか。こればかりは言うことも語ることも出来ない。この私の中にあるのか、それとも花にあるものなのか。

 私がどこにと問うとき、それはすでにそこにもなく、おそらく他のどこにもないだろう。だから自分が一片の無意識となって黙るよりほかに仕方はない。

・・・科学者は一定の法則を設定して、この法則の網の目にかからぬものは科学的研究の領域以外のものとしてこれに手をふれようとはせぬ。この科学の網の目がどれほど精密に出来ていると言っても、これが網の目である限り、その目から脱け出すもののあることは必然であり、この目にかからぬものはなんとしても科学の秤(はかり)では測れぬのである。

 大拙氏は、ここで禅の無意識について語っていますが、これは聴講している人は科学的方法論に立脚することを重要視したフロイト派の精神分析家が多かったことによるものです。

 以前取り上げたユング(宗教性と教育を心理学に統合しようとした)と、フロイトでは無意識の理解が異なり、禅の無意識はユングの考える無意識に近いものです。東洋に深い影響を受けたユングは無意識について次のように述べています(『人間と象徴 上』)。 

無意識の過去と未来

無意識がたんに過去のものの倉庫(=フロイトの無意識観)ではなくて、未来の心的な状況や考えの可能性にも満ちているということの発見が、私を心理学にたいする私自身の新しい接近法へと導いていった。

…遠い過去からの記憶のみならず、まったく新しい考えや創造的な観念 ― 今まで、一度も意識化されたことのない考えや観念 ― も、無意識のなかから現われてくるというのは、事実である。それらは、心の暗い深みから蓮の花のように成長してくるもので、潜在的な心の最も重要な部分を形作っている。 

 大拙氏の引用文で「花」と言っているのは、松尾芭蕉の句「よく見れば薺花咲く垣根かな」の「薺(なずな)」のこと、「私」は松尾芭蕉のことです。

 金井先生は、花を無意識からめざめさせる〝私〟について、「私にとっては「整体指導者」を意味することになります(観察を通じて無意識を意識化する手伝いをする)。」と述べています。

 個人指導では相手と自他一如となることで、「いっさいのよろこびと苦しみを知る」、そして受ける側も、愉気に感応することによって無意識からめざめ、自分に気づく―という過程が進みます。

 これは指導する側も受ける側も、科学の網の目をいう枠にいては分からないことであり、「主観」で感得していくのです。金井先生は次のように述べています。 

近代科学は学習を重ねた上で、研究することによって行なわれます。

 理性(頭)で行なう近代科学(=研究)と、身体を開墾する東洋宗教(=修行)とは、「理性と身体性」という相違なのです。

 身体性は無意識のはたらきと関わっており、修行を通じて身体を開墾することは、無意識を啓くことです。

 近代科学によっては意識が発達し、東洋宗教によっては無意識が発達するという相違です。肉体や身体という表現をしますと、科学には肉体の「運動能力」はありますが、「身体性」というものはないのです(西洋のスポーツと、日本の道文化による伝統的身体技法(=型)という相違)。

 この「身体性」を向上させるのが、東洋宗教の「修行」というもので、そうしてもたらされる身体によって、実は、自分の意識がどう変容し、成長するかという問題なのです。

 整体を身につけていく上では、受ける側も心の角度(自分の正当性うんぬんを捨て、感情に捉われた状態を終わらせるという意欲)をはっきりさせる必要があります。また、身体感覚(気づきの能力)が鈍いままでは愉気の感応も十分ではありません。

 そのために、指導を受ける側も「整体とは何か」を理解し、禅的修養(無意識を啓くための修行)を実践する必要があるのです。

 大変長くなりました。次回に続きます。