野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

科学にはない自己知―後科学の禅・野口整体 6

科学にはない自己知

 今回も『禅と精神分析』の続きです。鈴木大拙氏は、科学的見方の特徴について次のように述べています。

三 禅仏教における自己(セルフ)の概念

 科学はどの分野も一様に外に向っており、いわば遠心的であるし、物を取り上げて研究する場合、その物に対して客観的にこれを観察せんとする。つまり科学の立場は自分自身から物を引き離していく立場であって、決して見るものと見られるものとが一体になるといった方向を取ろうと努めることはないのである。

 かりに、自分の内部を見つめるといったような場合にあっても、科学者の立場は必ず内部のものを注意深く外部に取り出して、内部のものはあたかも自分のものでなく、外部から自分と無関係に与えられたもののごとくこれを自己から疎外されたものとして扱うのである。

・・・科学者は主観的であるということを極度に恐れる。けれども、我々が外部に立つ限り我々は終始局外者たることをまぬがれないことを銘記する必要がある。従って外部に立つということのために、我々は物そのものをじかに見ることは決して出来ない。

  前回も述べましたが、ここで「科学者」と呼ばれているのは、西洋で心の問題に向き合う精神科医フロイト派分析家のことです。

 金井先生はここを踏まえ「科学的な現代の教育によって、その思考法が(ある分野の能力が一定)身に付くと、右傍線部にあるような態度を無意識に取ってしまう」と述べています。

 何かを捉えようとすると、客観的に対象を観察する目と分析する理性が働いてしまい、「自分の感情を直截に感じることができない」というのです。

 これは、怒鳴ったりして感情を爆発させることではありません。それはブレーキが利かなくなっているだけです。また音楽や映画などに感情移入したり、他人の感情に同調したりすることでもありません。

 自分の感情を直截に感じるというのは、今、動いている情動を体で感じ「自分は今、こうなんだ」と受け止めることです。 しかし、小さな子ども感情のままに動いているだけで、自分の感情を感じているわけではありません。

 子どもは母親などに「嫌だったね」などと自分の代りに受け止めてもらわなければ自分の感情が分からない(心の中が分化・発達せず漠然としたままになり、感情を言葉で表現することができない)のです。

 このような大人の働きかけによって、子どもの心が育ち「自分の感情を受け止める主体」が形成されるのですが、知的発達は進んでいても感情の能力が低い人は近年急増しています(これは近代化以降、増加の一途)。

 金井先生はこのような問題を総じて「科学は、主観の未発達と主体性の欠如をもたらす」と指摘しました。

 そして「科学の時代だからこそ現代に多い「うつ」とは、「理性」を主とする自我が、本人の感情(理性によって不都合なものと認識された)と対立している状態なのです。」と述べています。

 西洋でも東洋でも、先進国と言われる国で抑うつ症や心身症などが急増している背景には、このような現代人の内面の問題があるのです。

ま た金井先生は、こうした問題は科学的社会に適応することだけしか視野にない教育にあるとし、「科学には自分のことを考える智はない(=自己知はない)」という問題提起をしています。

 客観視するだけでは心のことは分からないのに、それしか認識手段を知らないというのは、西洋人のみならず日本人である私たちも同様なのです。