野口整体 金井蒼天(省蒼)先生の潜在意識教育と思想

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鈴木大拙と禅思想―後科学の禅・野口整体 8

自分のことから始まる禅思想

  前回で第二章が終わり、今日から第三部第三章 世界の大拙と近代仏教の先駆けとなった師・釈宗演の仏教東漸 が始まります。実は私が「やり過ぎ?」と思っていた所です・・・。この章は難しい!

 なぜなら、内容のほとんどは、鈴木大拙氏と、その師釈宗演師の生涯と思想だからです。何のブログか分からなくなってしまうのでは?という怖れも正直ありますが、先生が伝えたかったことを掴みつつ進めていこうと思います。 

 鈴木大拙は1870年(明治3年)、石川県金沢市に生まれました。

 鈴木家は加賀藩藩医を務めた歴史があり、代々町医者をしていました。父は蘭方医(オランダ医学)の医師で、藩の医学館の教師であり、維新前から福沢諭吉の著書を読む先進的な人で、同時に儒家でもありました。

 大拙は居士号で、本名は貞太郎で、四男の末っ子です。儒家であった父は、四人の息子の名前を易経の「元亨利貞」という有名な言葉から取りました。

 これは植物に喩えると「元は芽生え、亨はその成長、利は実になろうとする時、貞は結実」という、天の法則と気の流れを意味する言葉です(本田濟『易』朝日新聞社)。

 しかし、明治維新と近代化は、鈴木家にとって大打撃となりました。藩の医学館は閉鎖され父は職を失って54才で亡くなり、その翌年、今度は利太郎(貞太郎のすぐ上の兄)も亡くなりました。その上、西南戦争で銀行が倒産した折、遺産を失ってしまったのです。

 その渦中で母の増(ます)は目を病み、治癒を願って滝行をするなど、信心を心の支えとするようになって行ったそうです。

もともと金沢は文化水準が高く信心深い土地ですが、大拙氏は「自然にこの母の感化を受けたことで、宗教方面に関心を持つことになった」と述べています。

 同時に鈴木家では、父はあこがれの存在だったようで、父良準は自分で「衛生読本」と「修身読本」という本を書き、子どもに読み聞かせ妻子に講義をする教育熱心な人でした。

 大拙氏は父について「子供の時の教育というものがよほど影響すると見えて、後来自分が本を書こうというようなことになったのも、あの時の一種の影響だね、それがあったものだと思っておる。」と述懐しています(原文は旧仮名遣い)。

 しかし長兄の元太郎は、父の死後、家が困窮していく中で医学校を退学し、小学校の教師になります。

 そして次兄の亨太郎は上京して弁護士を目指しますが法学校の受験に失敗、弁護士になる努力は続けたものの、生活のために役人になりました。次兄は70歳で弁護士の資格を得、その後すぐ亡くなったと言います。

 金井先生はこのことについて、

 貞太郎は幼くして父や兄(三男)と、そして、若くして母とも別れ、また兄たちが苦労して生きる姿を通じて、人間の「生と死」に向き合って来ていました。貞太郎は自身の不安や迷いを超え、いかに志を持って生きるかという「道」を求めていたことと思われます。

と述べています。

 貞太郎は第四高等中学校(後の金沢大学)に入学し、親友となる西田幾多郎(哲学者)に出会います。しかし経済的事情で退学し、17才で小学校の英語教師になりました。

 その頃から宗教や哲学に関心が向かい、19才の時、山岡鉄舟が再興した富山県高岡市国泰寺(臨済宗)の雪門玄松禅師に参禅しました。

(註)雪門玄松 明治期を代表する臨済宗の僧。波乱の生涯を送った。西田幾多郎は長く参禅し、居士号「寸心」を授けられた。

 しかし、雪門師に難しい禅語の意味を質問して「文字の意味がどうのこうのと聞くより、坐禅をしておれ」と叱られました。部屋で坐禅をしても何も教えてくれず、禅宗についての説明もないことに大拙氏は強い不満を感じ、四、五日程で帰ってしまったそうです。

 後に大拙氏は「叱られたのは当然だ」と述懐していますが、金井先生は「ここに、近代禅 ―思想が付与された ― の必要性(「禅とは何か」を説明する)の始まりがあったと考えられる」と言っています。

 伝統的には雪門師のやり方は普通なのですが、大拙氏は維新後に生まれ、近代知に接した世代ですから、あり得ることですね。

 この年、母が亡くなり、自宅を処分して英語を学ぼうと上京します。参禅した鎌倉円覚寺の今北洪川師の下には、山岡鉄舟中江兆民など維新に関わった名士が参禅しており、法嗣の釈宗演師は福沢諭吉に近代知を学んだ人でした。大拙氏は近代化以後の知的な禅に接することで、禅を深く理解することができたのです。

後に大拙氏は、

 人の心の底にある可能性を、素直に表に出させるのが禅なんです。人はふだん、自分の可能性を抑えつけているんです。だからいつもイライラしている。自分で自分を苦しめている。禅を知れば、人は自分の力を十分に発揮出来る。

と述べています(『30ポイントで読み解く「禅の思想」』)。

 この言葉の中には、近代化の影響で志の実現が叶わなかった兄たち、そして禅に救われた自分の思いがこめられているように感じます。

 父の願いは、貞太郎(結実の貞)によって実現した・・・と大拙氏自身は言っていませんが、そう言えると思います。

続きます。

参考文献『鈴木大拙全集第三十巻』(岩波書店)自叙傳