野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三部 第三賞 三5 仏教東漸と、初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた釈宗演師①

 前回、万国宗教会議での「仏教の要旨並びに因果法」(‘The Law of Cause and Effect, as Taught by Buddha’)について述べました。原因と結果の因果論は近代科学の考え方としても知られていますが、近代科学では主観(心・感覚と感情)を排除した原因と結果の法則を探究します。釈宗演の説いた仏教論では、心を原因として因果論を説いたのです。

 そこで当時求められていた宗教と科学の統一を実現する真理として仏教に期待が持たれたのです。それでは今回の内容に入ります。

①宗演師とポール・ケーラスの出会い

 ドイツ生まれの哲学者・宗教啓蒙家のポール・ケーラスは、釈宗演師の「仏陀の説いた因果法則」を聞いた後、師と親しくなりました。このことがきっかけとなり、ケーラスが運営する出版社で、鈴木大拙氏の11年の研修生活を送る道が開かれ、さらに、大乗仏教を英語で説くという、大拙氏の後の仕事への道が開かれました。

 このエピソードは、西洋では「禅が入ってきた歴史」として広く知られています。この、シカゴ万国宗教会議での様子は次のようなものでした(『仏教説話体系』)。

釈宗演 仏教東漸

六千人の聴衆の大部分はアメリカ人であった。初めて耳にする仏教の根本原理は自由と合理主義を信条とするアメリカ市民にも共感を呼び、講演後もしばらくはかっさいが鳴りやまなかった。

レセプションで、宗演はできる限り英語でアメリカの参会者と話した。セイロンじこみの英語で流ちょうではなかったが、この時宗演は多くの知己を得た。

その中に、シカゴ郊外で鉱山を経営するエドワード・へーゲラーがいた。へーゲラーはキリスト教に満足できず、科学の宗教とでもいうべきものを求めていた。宗演はこのへーゲラーの邸宅に招かれ、何日間も仏教についての質問に答えた。これが縁で、へーゲラーの娘婿でこの大会の事務局長であったポール・ケーラス博士とも話す機会を得た。そして、ついにはケーラスも仏教に深く興味を抱くようになった。仏教東漸がついに実現したのである。

 釈宗演、野村洋三(代表の通訳)たちは、へゲラーに招待されてシカゴから汽車に乗ってラサールまで行き、ヘゲラーの邸宅に一週間ほど滞在しました。

 ポール・ケーラスは、ドイツで宗教哲学を修め、宗教上の信念から1884年アメリカに移住したのです。彼は、近代社会における科学と宗教の整合性を追究するため出版社(オープン・コート社)を運営し、雑誌『モニスト』と月刊『オープン・コート』を編集刊行していました。

 彼はその時代の知識層と同様、ダーウィンの進化論に触発され、キリスト教の神による天地創造論が科学に矛盾するとして、「宗教と科学の統一」が実現可能な宗教を模索していたのです。