野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

近代仏教と釈宗演―後科学の禅・野口整体 10

釈宗演が志した仏教の近代化

 1891年、鈴木大拙(貞太郎)が参禅した鎌倉円覚寺の今北洪川師(1816~1892)は、元は大拙氏の父と同じ儒家でした。そして明治の初めに身分のある人(士族)と出家者に限られていた参禅の門戸を開き、一般人を受け入れる道場を始め、「人間禅」(人間形成を目的とする在家主義の禅)を提唱した人です。

 しかし一八九二年、大拙氏が参禅中に今北洪川師は亡くなりました。大拙氏の今北師に対する想いは強かったようで、『今北洪川』という著書があります。

 その後、32歳で法を嗣いだ釈宗演師(1860~1919)が師となりました。大拙氏は晩年、釈師がどんな人かを聞かれ、一言「破天荒」と答えています。釈宗演師は若い時、吉原に行き酒も飲んだという奔放な人だったようですが、苦しむ人の心に応えたいという想いの強い人であったとも思われます。

 今回は、夏目漱石も参禅した、釈宗演師を中心にお話していこうと思います。

 釈宗演師は1860年(幕末)、福井県に生まれ、10歳で得度し、今北洪川師に見込まれ、18歳からは鎌倉円覚寺に入りました。

しかし、1885年25歳の時、宗演師は洪川師の反対を押し切って、西欧化主義の急先鋒であった慶応義塾に入学します。

 日本では明治維新後、国家神道を成立させるため、明治元年(1868)の神仏分離令(従来の神仏習合を禁止)を発布しました。これに伴う廃仏毀釈運動(「仏を廃し釈尊の教えを毀す」暴動)によって、仏教は壊滅的な打撃を受け、仏教美術などの文化財が海外に多数流出したのです。

 その影響は明治に入っても続いた上、仏教界が古い体質のままで、近代を生きる人々の心に応えるものではなくなっていました。宗演師は、古い因習や迷信を整理し、近代に適応した仏教の精神を説こうと志したのです。

 宗演師は慶應義塾別科を卒業後、1887年山岡鉄舟福沢諭吉の勧めでセイロン(スリランカ)に渡り、そこで二年余り上座部仏教の僧侶としての体験を積み、仏教の源流を学びました。

 1889年に帰国、その後円覚寺派管長となり、宗派を超えた仏教を考える協会を結成しました。この協会のメンバーが、1893年シカゴで行われた万国宗教会議の参加者となったのです。

 当時、仏教は欧米の知的階級に注目され始めていたものの、小乗仏教上座部仏教)がブッダのことばを伝える真の仏教と認識されていた上、一般大衆には仏教そのものがまだ知られていませんでした(パーリ語の伝統が小乗・上座部仏教サンスクリット語の伝統が大乗仏教で、共通の土台を持つ)。

 そこで、大乗・小乗に共通する普遍的な真理を、「因果法」という西洋人に理解しやすい論理を用いて説いたのです(鈴木大拙がこの原稿を英訳。英題は‘The Law of Cause and Effect, as Taught by Buddha’)。

 釈宗演師は、この世界が、心の二つの元因「性・情」によって出来上がると説きました。

性とは「本覚の自己」(悟りの智慧・本来の自己・仏性)。

情は「不覚の一念・無明の心、妄想・五情の所欲」(感覚を生じる、眼・耳・鼻・舌・身の五根のこと。また、それから起こる情感)。 

「情」を因として自他や善悪、また世界の万物が生じ、世界のありようは情のありようによって決まる(果)、というのが仏教の「因果法」です。

 そして「情(感覚・感情)」を清め(六根清浄)、性(心の本性)を自覚する行を積むことで、漸次(輪廻転生をも通じ)心が進化していくことを目的とするのが仏道であると説いたのです(これは大乗・上座部、すべての宗派を超えた仏教の普遍的な説)。

(註)宗演師の説く因果法の因とは、性・情、二つの「心」の要素を指すが、近代科学では「心」の一切が除外されている点に注意。

 この内容が東洋思想関連の出版社を営むポール・ケーラスの心を捉え、宗演師との縁が昭二、鈴木大拙が渡米する道を開いたのです。

 東洋宗教の世界は、停滞・衰退の時期に入ると、その時代の人が身体行を通じて教えに命を吹き込み、「アップデート」することでその命脈を保ってきました。このような人を「中興の祖」と言い、禅では江戸期の白隠禅師が有名です。

 伝統(宗教心)を失った近代以後の人間の心に仏教をもたらす、という釈宗演師の取り組みによって、宗派や教団という枠組みではなく、個人と仏教という新しい関係性が打ち出されました。そして明治時代から「近代仏教」という新たな歴史区分ができたのです。

 今、近代の思想や教育などが非常に注目されており、釈宗演師や鈴木大拙氏は批判・肯定両面で論じられています。興味のある方は是非。

 金井先生は「葬式仏教」は嫌いでしたが、「山川草木悉皆成仏」という言葉は非常に好きでした。仏典にある正式な言葉ではないそうですが、日本人の宗教心を端的に表す言葉であると思います。そして禅語の「静中動、動中静」、「随所作主、立処皆真」も。

 以前、野口晴哉先生の「『臨済録』は丁寧に生き物をみて来たと、そう今でも感心しています。」という言葉を紹介しました(後科学の禅・野口整体 4)。

 釈宗演師の説く仏教にも通じますので、『臨済録』についての野口先生の言葉をもう一つ紹介し、結とします(『月刊全生』)。