野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

病症と心の態度―風邪の効用 6

病症を抑えようとする「心の態度」の問題

  下巻『野口整体と科学的生命観 風邪の効用』第一章には、風邪を引いたかと思うとすぐに薬を飲んで症状を抑えて来た女性の例が出てくるのですが、今回はこの人のことを、回想を交えてお話したいと思います。 金井先生は彼女について次のように述べています。

私の指導経験では、・・・膠原病(自己免疫疾患)と診断されている人が、「私の白血球は本来のものとは全く違う形となっており、体の組織を攻撃する」と、そして「長年、風邪を引く度に、薬で症状を抑え出勤することを繰り返した」と話していました。

この話を聞いた私は、症状を取り除くことに「執心」した(=この人の心が症状を敵視し、それを抑えるための薬の服用という行為が免疫の働きを乱し続けた)ことで、体のはたらきが大きく異常を起こしたものと思いました。

「生きていること」、そして生命を理解することの意味の重要性を痛感したものです。 

 この女性と金井先生が指導の後でお話をする時、私も同席させて頂いたので、この時のことは覚えています。

 彼女は薬の服用について何か反発を感じる出来事があり、その話をしようという状況であったと記憶しています。彼女は席に座るとすぐ、「水を一杯頂けますか」と言い、その場で薬を飲みました。

 指導の後、指導者の前で薬を飲むという行為は、挑戦とも受け取れることです。私は一瞬息をのみましたが、不思議と対立的、挑戦的な感じは受けませんでした。

 どちらかというと「やけ酒」を飲むような感じに見え、彼女がこれまでそうすることしかできなかった苦しみと悲しみの表現のように感じたのです。

 彼女は母を早くに亡くした人で、膠原病だけではなく抑うつ症状にも悩み、ある高名なユング精神科医の分析も受けたことがありました。

 しかしその人の情に訴えるような「同情的姿勢」に引いてしまったとのことで、金井先生は私を「理解しよう」としている所が信頼できると言いました。彼女は非常に理知的な人だったのです。

 彼女は、社会人が症状を理由に仕事に支障をきたすなど許されないことだと思い、体をそれに従わせようとしてきたのだと思います。母を早くに亡くした彼女は、症状だけでなく自分の感情も抑え、排除することで「強く賢い自分」を保ってきたのです。そして、その生き方が破綻しつつある、というのが膠原病の意味するところでした。

 自己免疫疾患の背景は個人によってさまざまですが、心と無関係の病症はないというのが整体指導の立処であり、こういう場合「薬を飲むのは良くない」「体が鈍い、硬い」などと言いさえすれば通る訳ではありません。

 しかし、もし彼女が膠原病になる前に、症状を抑え続けることの意味を知識としてでも知っていたら、と思うのです。

 以前紹介した「私の体は、私の頭よりも賢い」のNさんは、身心共に乱れ、娘に感情をぶつけてしまうようになっていた時期、三才の長女が保育園で心因性のじんましんを発症したことがありました。

 園の指導で病院に行き、薬を服用しステロイド剤を塗ったところ、たちまち蕁麻疹は消えましたが、不自然さを感じたNさんは二日で薬をやめました。

 すると蕁麻疹が再発しさらに広がり、一週間引きませんでした。Nさんは自分が小さな娘に与えた影響を反省し、かゆみでぐずる娘に添い寝をして病症を経過しました。その間、長女はおっぱいをほしがるなど甘え方が赤ちゃんのようになったとのことです。

 この出来事について、金井先生は上巻『野口整体と科学 活元運動』で次のように述べています。

このような長女の「心理的要求」に、この時期応えていくのか、またはステロイドを塗って見た目だけ「問題がない」状態で過ごすのかは、その人(親)の感性で判断することです。

身体感覚が敏感になると無意識がはたらき、部分に捉われず生命の法則に順(したが)うことができるのです(表面的な症状に捉われず「全体性」を大事にする)。

  そして最後に、野口晴哉先生の『風邪の効用』の引用文、そして金井先生の文章で、終わろうと思います(下巻にも引用されている)。「風邪の効用」はまだ続きます! 

治ると治すの違い

 最近の病気に対する考え方は、病気の恐いことだけ考えて、病気でさえあれば何でも治してしまわなくてはならない、しかも早く治してしまわなければならないと考えられ、人間が生きていく上での体全体の動き、或は体の自然というものを無視している。仕事のために早く治す、何々をするために急いで下痢を止めるというようなことばかりやっているので、体の自然のバランスというものがだんだん失われ、風邪をスムーズに経過し難い人が多くなってきました。

・・・早く治すというのがよいのではない。遅く治るというのがよいのでもない。その体にとって自然の経過を通ることが望ましい。できれば、早く経過できるような敏感な体の状態を保つことが望ましいのであって、体の弾力性というものから人間の体を考えていきますと、風邪は弾力性を恢復させる機会になります。不意に偶然に重い病気になるというようなのは、体が鈍って弾力性を欠いた結果に他ならない。体を丁寧に見ていると、風邪は決して恐くないのです。

 (金井)

機械論である西洋医学は、病理学的理解による病症(病気)を対象にするのに対して、野口整体では、このように「身体性(敏感な体の状態)」を対象とし、体の弾力を問題にしているのです。病気が経過しない、また不意に重い病気に罹るのは、身体の弾力を欠いた(身体感覚が鈍い)「合目的性」が発揮されない体においてなのです。