一粒の樫の実は摩天の巨樹となる―風邪の効用12
ユングの目的論的無意識観
前回はユングの心をエネルギーとして理解する「心的エネルギー論」についてお話しました。今回はその続きです。
林道義氏(註)は、ユングの無意識観が目的論的であることについて、次のように述べています(HP C・G・ユング研究)。
(註)林道義(一九三七年生)
経済学者・心理学者・評論家。元東京女子大学文理学部教授。日本ユング研究会会長。ユングの著作翻訳多数。
3 特別講義 ユングの心的エネルギー論
・・エネルギーの流れがどういう方向を向いていて、どれぐらい強いかと考えるのが心的エネルギー論です。こういう見方を、ユングは因果論に対して目的論と言いました。
…例えば植物が、種子の状態から次第に成長して完全な木になる、最初の種の中にすべてが含まれていて、それが実現していく。最初に持っていた可能性がすべて実現していく、そういう意味なんですね。最後に実現したものは、可能性として最初のものにすべて含まれていた、こういう見方です。
・・・(心を)エネルギーとして見るということは、プロセスとして見るということです。そのプロセスというのは、最初に可能性として含まれていたものが次第に姿を現していくプロセスです。最初に何が可能性としてあったかは分からない。だんだん花開いていくうちにそれが姿を現してくる。結果は分かっていない。
ユングの分析心理学では、「自己実現」「個性化の過程」という心の発達を目標にしています。自己実現というと、よく社会的・経済的な成功や、組織の中の指導的立場に立つなどの目標を達成することだと思われていることがよくありますが、多くの場合、それは「自我実現」というべきものです。
ユングの自己実現、個性化の過程は「自我が支配力を強めていく過程」ではなく、無意識の中から浮かび上がってくる要求、可能性が外界へと顕れていく過程のことなのです。金井先生はこの引用の後に次のように述べています。
私の目的論研究の初期、右(上)の林氏の文章を初めて読んだ時、「一粒の樫の実は摩天の巨樹となる(野口晴哉「いのちの真相」昭和八年)」という師野口晴哉の言葉を思い出さずにはいられませんでした(この時、ユングと師野口晴哉の無意識観が同質であることを確信する)。
これは、無意識の持つ「可能性の実現」(自己実現)なのです。
この種子というのは、幼き野口少年自身であり、また師が出会った多くの人であり、それは人間に秘められた「可能性」というものです。
私自身、師が亡くなる年の一月二日、書き初めの日、師より戴いた書「魚化龍」を支えに、没後三十年余りを精進してきたのですが、ここ数年、私なりの「龍なるもの」を感ずることができるようになった思いです。
体も頭も、心も智恵も、使えばその能力は増えていくのです(このような志を持たなければ、結果は違ってくる)。
師の全生思想「全力を発揮する生き方」は、最初に可能性として含まれていたもの(種子)が、次第に姿を現していく過程(プロセス)を大切にする思想なのです。
続きます。