近代化に対する不適応と病理―気の思想と目的論的生命観 6
近代化と日本人の身心
私が中学・高校生当時の授業では、近代史はアウトラインをなぞるような教え方をすることが多く、当時の日本人が近代化過程にどのように適応していったのかなどは教えられることはなかったように思います。
しかし、近代化というものが日本人に与えた影響は甚大で、現代につながる身心の問題は、ここから端を発しているのです。この近代化の大本に近代科学があります。
今回紹介する、医療史家の立川昭二氏の著書『病気の社会史』は、現在岩波書店の文庫となっています。立川氏にお会いした時、この『病気の社会史』には野口晴哉師に通ずる視点があると思う、とお話したら、非常に関心を持たれ、喜ばれていました。
では今回の内容に入ります。
(金井)
ここからは、「日本の近代化」を身体の変化を通じて考えてみましょう。中巻(『野口整体とユング心理学 心療整体』第二章)で紹介した医療史家の立川昭二氏は、近代化が伝染病の蔓延とともに始まったこと、そしてその後の近代化過程における精神疾患の急増について、次のように述べています(『病気の社会史』NHKブックス)。
日本近代の朝はコレラの洗礼とともに明けた。コレラだけではない。痘瘡・赤痢・腸チフス・ペストなど急性伝染病が、文明開化の潮に乗り、大波となって日本を呑みつくした。
・・・なかでも最大の強敵はコレラ――。…明治四四年間のコレラによる総死者数は三十七万余、これは日清・日露の大戦争の死者総数(約十六万人)をはるかに上回る。
これまで鎖国と封建の惰眠をむさぼっていた日本は、明治維新を迎え、内外から大きく揺さぶられる。人やものが激しく移動し、新しい産業の波が人々の生活を変えていく。うち続く内戦と対外出兵、荒廃していく農村、貧民の蝟集(いしゅう・多く寄り集まること)する都市。
それに文明開化とはいえ、環境衛生といえば江戸時代そのまま、上下水道もほとんどなく、電灯がつき汽車が動いても、飲み水は黴菌だらけ、し尿は垂れ流し――。伝染病がこの明治日本にまん延しない道理はない。まず消化器系伝染病が無人の野を行くがごとく暴れまわる。とりわけ、世界の近代化の波に乗って世界旅行を繰り返しているコレラが、なりふりかまわず近代化を急ぐ日本を、絶好の餌食にしないはずがない。
社会病としての精神病
明治維新が日本人の経験したまれにみる急激な社会変革であったことは論を待たない。この急激な変革は、生活様式の急変、倫理・価値観の急転、生存競争の激化をともない、教育の過重・生活難の増大がすすむ。当然そこには精神的動揺・不安が醸成される。
あるいは農村から都市に流入し、あるいは士族から賃金労働者に転じた、これら生活の急変を強いられた無数の人々が、新しい様式・体系に接触していくなかで、精神的葛藤を増大させていく。
旧来の生活習慣と階級秩序の崩壊は、あらゆる伝統的価値を崩壊させていくとともに、そこにあった社会的防衛機構をも同時に崩壊させていく。
ここに、激変する社会から脱落していくもの、新しい社会に適応できないもの、彼らが精神的動揺・不安・葛藤(コンフリクト)・欲求(フラスト)不満(レーション)をエスカレートしていく過程で、精神病者として現在化してくることは、おそらく疑えない現象であったろう。
明治、大正、昭和という激動の時代における社会不安、植民地化されることに対する怖れ、これに抗する帝国主義化といったものが人々の心を不安定にしていたことは、結核その他の伝染病のまん延を許す素地となっていたと考えられます。
「結核」については、明治後半から昭和二十年代までの長い間、「国民病」と恐れられており、当時は、年間死亡者数も十数万人に及び、死亡原因の第一位でした。それは日本が近代化と帝国主義化を推し進めていた時期と重なります。
そのような時代に適応し、乗り越えていくためにも、明治後期から昭和初期にかけて、坐・呼吸法に代表される、東洋的・土着的伝統を踏まえた身体技法、健康法・治療法・修養法(新渡戸稲造の沈思黙考など)が注目されるようになりました。
このような時代の要請を経て、新しい健康法・修養法として野口整体は生まれたのです。