身体の重心位置と抵抗力―気の思想と目的論的生命観 7
近代化と日本人の重心位置の変化
以前、『「気」の身心一元論』の読書会をしていた時に「人間の中心」について説明する機会があり、「自分はどこにあると思うか」を参加者の皆さんに質問したことがあります。その時は「胸」と「頭」という答えだけで、「丹田(下腹)」と答えた人はいませんでした。
整体である時の中心は「丹田(下腹)」であり、整体操法は「心の中心(身体感覚的な中心)と、身体の重力的中心を一致させること」を目的としている、と金井先生から教わりました。しかし現代では、その状態を日常としている人はごく少ない、と言って良いでしょう。
今回はこの中心(重心)が近代化によって上がったことで、日本人の生きる力が低下した、という内容です。
(金井)
立川昭二氏は、明治以来の近代化に伴う「時代の病」の変遷について、次のように述べています(『病気の社会史』)。
歴史の「進歩」と病気
…「病気は文明なり社会なりによってつくられ」、「病像(びょうぞう)は時代によって移り変わり」、「疾病にも歴史的法則があり」、「病因が歴史的分析によって説かれうる場合がある」 ―― といった考え方が、どうやら見当違いでなかったことを、おおよそ学び取ることができた。
…ひとつの悪疫(悪性の流行病)が消えると、かならずべつの悪疫が創(つく)られる。その絶えまない繰り返しを、歴史はいやというほど見せつけてくれた。
伝染病には文明抵抗性ともいうべきものがあり、文明度のレベルに応じて、それは消化器から呼吸器へ、さらにポリオなどのように脳へと次第に下から上へと押し上げられていった。
結核やコレラは文明国から地上の別の地域に追われたが、そこで今日なおこれまで以上の惨禍を繰り返している。そして文明国では、ガンや心臓病、それに精神病・公害病が、悪疫の奢りをほしいままにしている。
立川氏は「…次第に下から上へと押し上げられていった。」と表現していますが、この近代化の推移と重心位置の変化について、師野口晴哉は次のように述べています(『月刊全生』一九七五年)。
野口先生へ質問「心と体は一つ」
体の中心は腰椎の二番と三番の間からお臍の下、一寸の処にかけての線にかかる処に中心があります。そこに、きちんと力を入れていれば、心も体もきちんとします。
…そこで昔から、下腹に力を入れて動作する、下腹に力を入れて技術を修めるというように「万事、吾が腹に有り」と、お腹の力を大事にしました。それが大正時代では「万事胸に有り」そして「万事頭に有り」になり、今はへんに浮いてしまって「万事どこかに有り」になっておりますけれども、中心にあるのが本当です。
右の文章の「万事胸に有り」というのは、大正時代に肺結核が蔓延していたということと一致しています。
そして「万事頭に有り」から、さらに上に上がったというのが、師が観た一九七〇年前後の日本人の姿(こうも頭で生きる人が多くなってしまった)であり、これが神経や精神の問題となって表面化しているのが現代なのです。このように重心の問題が病気の変遷とひとつなのです。
日本の伝統的な「道」を支えていた身体性が「型」であり、その中心には「肚」がありました。これを身につけていた人においては、重要なことは「肚で考える」というものでした。
このように日本人が「肚」を意識していた時代は抵抗力があり、精神力も強いものがありましたが、「型」が失われ、頭でだけ考えるようになり、重心が頭に上がってしまったのです。大正教養主義は、その象徴でした(修養は身体性であり、教養は理性)。
「下腹に力を入れて技術を修める」と言っても、そのような経験がなければ分かりにくいことかもしれませんが、下腹に力が入る時ここに気が定まり、落ち着いた心のはたらき(集中力の発揮)により、技術を身につけることができるのです。
樹木がそうですが、根がしっかり張っていれば、大風が吹いても幹は動かず、倒れることは滅多にないものです。
重心が丹田から上に上がるほどに、気を定めることができず、それで心が動きすぎ(動揺し)てしまうのです。このような心の動揺と免疫力の関係は、細菌や病症に対する「抵抗力の低下」となって現れます。
この「抵抗力」というものが重要である理由は、人間関係や社会の変化に対する「適応力」ともなるからです。抵抗力とは踏んばることができることで、それには肝心なところ(「腰・肚」)に力が入ることなのです。