4「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」の意味― 中心感覚を失った日本人
師野口晴哉の晩年以前の時代には、「重心が狂ってきたから個人指導を受けに来ました」というように、自分の「身心」を使う(生活する)上で、重心位置に関心を持っていたのです。
しかし、師が1970年頃「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」と言われたように、戦後の風潮(高度経済成長・科学万能主義・アメリカ化)と理性至上主義教育によって、日本人の重心が頭に上がってしまったのです。
頭が働いたままだと身体感覚はよくはたらかないのです。
身体感覚は、自身の感覚や感情(ここでは科学的五感を超える感覚・主観)と身体が一つであることを知る上で重要なものです。
日本人の伝統的な身体は「自然体」とも呼ばれ、「身心を統合する」ことを目的とするものでした。統合するためには、身体感覚を養うことで生ずる「重心感覚」が大切なものです。
重心感覚は、身心の安定を保持するための身体感覚で、これが丹田を捉え、「中心感覚」となるのです。
中心感覚を得た身体は、安定感があり、ゆったりしながらも覚醒した意識をもたらします。これらの感覚を養うために「上虚下実」という言葉があったのです。
こうした伝統的身体に連なる「心と体は一つ(=身心一元論)」という身体を目指すのが野口整体です。
中心のはたらきによって、生命は自然(じねん)な活性状態となるのであり、中心を中心たらしめるのが、整体指導の目的です。
坐による「上虚下実」の身体、
それは、日本人の心の静けさと「肚」を取り戻すもの。
日本的身体とは、かつて自然体と呼ばれていた、
「型」により修練された身構えのことである。
「型」は、西洋流の頭や胸を中心とした
心身の使い方によるものでなく、
身体そのものの中心、それは腰・腹の中心に力が入る、
身体(無意識)と心(意識)の使い方である。
この身心の状態とその原理を「上虚下実」という。
野口整体でいう『整体』とは、
身心が「上虚下実」である。
第一部 完