野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

背骨と日本人の感性―気の思想と目的論的生命観16

人間を観る眼と背骨

 今回から下巻第七章の最後の主題に入ります。

 ここでの内容は、2006年から始まった、月刊MOKUという雑誌に金井先生が連載した記事の最終回が基になっています。これは、私が整体について自分も学びながら、先生の文章づくりと編集の手伝いをする本格的な修行が始まった思い出深い記事でした。

 この中に出てくる臼井栄子先生は、金井先生が四段位の試験を受けた時の試験官で、臼井先生と野口先生の二人だけが、まだ若かった金井先生を認め、合格させたということです。

 金井先生は中巻『ユング心理学野口整体』潜在意識は体にある!― 自分のことから始まった野口整体の道(『手技療法』取材記事に加筆・推敲)で、そのことについて次のように述べています。

  師は私の素質に対して、そして、その素質から出た少しばかりの光に対して、励ましの意味で四段位を出されたものと思っています。「進み得る方向において観る」ということでしょう。

 しかしこの二人(試験官は三人おり、臼井先生以外の二人の男性のこと)には、当時の私にそれを観る力はなかったと思います。特に一人の方は、師亡き後、協会に残らない私への不満を臼井先生にぶつけたそうです。「なぜ、あれに四段位を出したんですか!」と。そしたら臼井先生が「あんたがあの世に行ったら、野口先生に聞いてみなさいよ」と切り返されたそうです。

・・・師ほどの「徳を以ってはじめて理解し得るもの」というとなんですが…、他の人間にはほとんど理解されてきていないのです。

 

(金井)

 戦後半世紀以上を経た今日の日本社会では、教師や会社の幹部、国の官僚や政治家といった指導的立場にある人たちの統率力の低下が問題となっています。

 このことと、日本人の「身体」における「背骨」の意味を私の立場から述べてみたいと思います。

 

日本の身体文化の中心には背骨があった

 師野口晴哉の弟子で私の大先輩、臼井栄子先生という存在があり、師は亡くなる三週間程前、最高位の九段位を与えられました。

 私は後に、臼井先生の背骨の観察をすることがありました。それは、ある時ふいに「金井さん、背中を観てくれる」と言われ、観たのです(実は先生が「私の手」を観ようとされたことが後で分かった)。

 先生は細身の方なのですが、その背骨に触れた時、見た目の細さからは想像ができないほど背骨がしっかりされていたことにとても驚きました。

 背骨の一つ一つがはっきり、しっかりしており、全体が通っていたのです(どの世界においても「できる人」は背骨が違う)。

 明治までの日本人の背骨は「シャン」としていたと言います。それは「型」の文化があったからです。

 また至る処、各界に大物がいたと言います。「大物とは何か」、それは「道(みち)」に達していた人です。「達人」と呼べる人たちです。

 「道に達する」とは、「真理に到達している」ということです。

 「型」とは「肚(はら)」をつくるものであるとは、七十代後半以上の人たちなら、こういう方面に関心が薄くとも、それなりに理解されていることと思います。

 しかし、六十歳以下の人たちと出会う中では、「肚」という言葉すら知らない人を見受けます。この傾向が、年齢が下がるにつれ著しいものとなることは、現代の若者は「身体の中心(心の中心)」を失っていると、言明することができます。

「明治の人は一本筋が通っていた」とは、背筋が通っていたことで、「善悪の基準の明確さと意志の力を持っていた」ことを意味しています。判断力、真贋(しんがん)を見抜く力、こういった力が他者の信頼を得て、指導力となり統率力となっていたのです。

 そして自分の言葉と行動に責任を持つという強い意志、態度がありました。指導するとは、相手に対して責任を持つということなのです。

 これは「腰力(こしぢから)」によるもので、それは「立(りつ)腰(よう)(腰を立てる)」することで背骨を「身体の中心軸」とすることができていたからです。

 野口整体の道を歩んで五十年、健康上はもちろん、頭脳や精神の働き、感情や情緒の豊かさ、意志の強さ、夢や志を持つ力など、人間が活き活きと生きていくために、腰が決まり、背骨が自身の中心軸となることがどれほど意味のあることかを伝えずにはいられません。