野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 序章 一2

機械論を基盤とし病理学的研究に偏った西洋医学に対する疑問

 上村氏は、当時のことを次のように綴っています。 

  私はかつて麻酔科医として多くの手術に立ち会ってきました。そして最終的に思ったことは、「医師として治療を行うとはいったいどういうことなんだろう」という疑問でした。

 我々がやっていることはなんなんだろう?これが本来のあるべき姿なんだろうか?医療はこのままでいいんだろうか?

 これらの疑問はある時に、自分の中に浮かんだある考えをきっかけとして次々と生じました。

 それは「多くの病気は患者自身のせいで起こっている」、という閃(ひらめ)きでした。また、現実には医療行為そのものが新しい病気を発生させることも多い。

 それなら、病気になってしまった人を治療していたのでは、きりがない。それより、人がいつも健やかであるために、何が必要なのかを医学はもっと探求すべきではないだろうかと思いました。

 しかし、驚いたことに、それを研究している医学者は見当たらない。予防医学、公衆衛生学、保健医学といった分野も中身を見れば、早期発見、早期治療。結局、病気に対していかに対処するかが、目的の中心になっている。

 何かが違う!でも、どうすべきかも解らない。自分がやっていることの意義を見出せなくなりました。そして、自分が勤務している病院の規模でも、年間何億円もの無駄な事業をしていると結論するほかなかったのです。

 それからの仕事は、とても辛いものになりました。ほどなく、私は診療の場を去りましたが…。

 辞める切っ掛けになった最後の出来事は、急患で運ばれてきた、施設に入っている八十歳近いおばあちゃんでした。消化管穿孔(せんこう)という、お腹に穴が開いて、お腹中、炎症が起こってしまう症状です。

 大腸は汚いものがどんどん濃縮されてきているところなので、大腸穿孔は緊急手術をしても助かる人は半分以下。しかも高齢だし、「まずダメだろう」というような状況で運ばれて来て、でも来たからには、夜中でもぱっと集まって手術をした。

 おばあちゃんは助かったんですけれども、後で外科の先生に聞くと、本人は「身寄りもないし、結局、助かっても別に有難くもなんともない。あのまま死ねたらよかったのに」という感じで、実際、周囲の人たちもそう思っている。

 医療をやっている側にしても、あれだけエネルギーを投入して、すべての人が集まって治療をして、あの人一人が助かったとしても、それはただのこちらの自己満足なのかな、と。ただ「助ける、助ける」ということでやっていたけど、「これ、どれほどの意味があるのかなあ」と、思うようになりました。

人間の体は、なんの問題もないのに、いきなり大腸に穴が穿(あ)くことってないんですよね。それが穿いてしまうということは、やっぱりそれは、その人が死にたいから…。

 野口晴哉先生の思想を学んだ今から思えば、そういうことです。

  彼は総合病院を退職しましたが、深層心理学フロイト精神分析学)を学んだ後、古武術甲野善紀氏の著作を通じて野口整体を知ることになりました。それで、『整体入門』と『病むことは力』を通じ、やがて当会との縁を持つことになったのです。

「人がいつも健やかであるために、何が必要なのか」を求めた上村氏は、師野口晴哉の著作のほとんどを読み、右の文末で「死の要求」について触れているのです。