野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」一2

  今回の内容は、整体指導の観察についてです。

 潜在意識と言うと、乳幼児期から思春期あたりまでに形成された、比較的遠い過去のトラウマを連想する人も多いのですが、ごく最近起きた情動体験も潜在意識となって心と体を支配します。でも、時間経過の長短、また思い出せるか否かの違いであって、偏り疲労と情動という原理は同じなのです。

  文中にある「現在の心のはたらきには「過去」が含まれている」というのは本当に先生らしい表現で、この文章から、先生が生きた歴史が伺えるように思います。

 

 「今、ここ」を生きるために、体を整える― 自分が変われば世界が変わる 

 私の個人指導では、1に挙げたTさんの例のように、「情動」の理解を指導の焦点としていますが、それは、身体を観察することで、身体症状がなぜ起きているのかが理解できるからです。

 科学的思考をする現代人は、無意識的に「心身分離」で身体を捉え、多くの症状は、情動による偏り疲労から脱しようとして生ずることを容易には理解できないのです(「心身二元論」が科学のパラダイム(思考の枠組み)であることによる)。

 今の身体を、体験した感情と繋げず症状だけを捉えると、偶然、症状が起こってきたと不安や恐怖を感じ、「何とかしないと悪化する」と思ってしまう(機械論的に捉え対症療法に走る)もので、「体が何をしようとしているか(=症状における体のはたらき)」が理解できなくなるのです。

 私が初めて出席した師野口晴哉の講義第一声は、「背骨は人間の歴史である」でした。

 野口整体の観察の中心となる背骨の観方に深くなりますと、「背骨は心(潜在意識)が現れているものである」と解るようになります(背骨には、その人がこれまで生きてきた心の歴史が刻まれている)。

 私は、背骨の様子を観察し、私が感じたものを問いかける(何らかの情動を捉え、その内容を尋ねる)ことで、先ず、相手が最近体験した「感情」を共有するという「心のやり取り」を行っています。

 これは、今・現在をより良く生きるために肝要なことです。

 つまり、人は一週間とか十日前の過去に起きた情動(註1)によって影響を受けた潜在意識が基となって「今日・現在(自分や外界)」を感受し、生活しているということです。

 のみならず、人はこれまでに形成された「感受性(トラウマ・体癖を含む)」によって、現在の事物を受け取っており、現在の心のはたらきには「過去」が含まれているのです。

 自分(内界)や社会(外界)を、自身がどのように捉えているかということが、感受性という言葉で表わされています。自身の心(潜在意識)のありようによって、この世界というものを見(捉え)ているのです。

 現在に主体性を以って適応すれば、過去を超えることもできるのです。そして、師は「自分が変われば世界が変わる」と言われたのです。

 野口整体の基盤にある「全生」思想は、日々全力発揮することを目標とするもので、「体を整える」とは、禅(註2)の「今、ここ!」という生き方を実現するためなのです。

「感受性を高度ならしむる」ことが、整体指導の目的です。

(註1)情動 喜怒哀楽という感情のはたらきが、自律神経系を通じて身体上に「変化」を起こすこと。情動は正と負、快情動(陽性感情)と不快情動(陰性感情)に大別され、陽性感情(喜や楽など)は副交感神経、陰性感情(怒や哀など)は交感神経による支配。情動の発現は生物が生存するための適応反応であり、感覚刺激に対し、過去の記憶に基づき、自己に利益をもたらす可能性のあるものに対しては快情動を、逆に不利益をもたらす可能性のあるものに対しては不快情動を発動する。不快情動の持続が身心の違和変調につながる。

(註2)禅語には次のようなものがある。

融通無碍(ゆうづうむげ) (「融通」は滞りなく通ること。「無礙」は妨げのないこと)行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること。こうして主体性が発揮される。

随所作主、立処皆真(ずいしょさくしゅ、りっしょみなしん) (随所に主となれば、立つ処皆真なり)常に主体性を持って行動すれば、そこには真実がある。