自我の主体性発揮と「感受性を高度ならしむる」
Mさんの指導例にもあるように、私の個人指導では、いつしか活元運動が中心となりました。
その指導の中で、始め尋ねられても思い出せなかった、体を偏らせている不快情動の内容(陰性感情)は、愉気法によって体が弛み、活元運動が進むことで、思い出すことができるようになるのです(潜伏した感情の顕在化)。
それで、とりわけ活元運動を中心とするようになったのです(愉気によって潜在的な情動的興奮を鎮め、活元運動が脱力をもたらすことで、頭の緊張が弛みぽかんとする)。
体が動く(愉気によって活元運動が出る)ことで心が動きだすのは、「気で体にはたらきかけることで、相手の気が動きだす」からで、これには、指導者と受ける人との「気の感応」が肝要です。
個人指導の中で、思い出したものを私に訴えるように話す(この時、この人の自我が主体性を取り戻し始める)ことで、鬱滞した感情が流れ、心が晴れてくると本人は自身の心の深みと繋がることができるのです。
こうして、意識が明瞭化することが、整体指導の目的「感受性を高度ならしむる」です。
野口整体の(指導を行う)私が、心理療法で「コンプレックス」を対話の焦点とするのは、「主体性を取り戻すことが病症経過を促す(心がはっきりしていくことで自然治癒力が高まる)」という原理があるからです。
5の師野口晴哉の「病症が体を治す」(補)こそ、無意識・身体に具わる目的論的機能なのです(これが「風邪の効用」という思想)。
Mさんからの二日後の電話では、指導日の夜は熟睡し、腰痛は全快したとのことです(痛みがなくなることではなく、身心の統一感を取り戻すことが真の治癒)。
彼女には、自分の行動や感情を抑え(註)て、周りの人間に合わせようとする理性的な自我が形成されています。感情を切り離す理性のはたらきが「ふーっと気が遠くなってしまった」という、自我と身体の分離を引き起こしたのです。
(註)抑制できるというのなら良いが、抑え るという中には、抑制と抑圧があり、抑圧は「分離」を起こす。
Mさんが自身の生活において「自我の主体性を確立する(自我を強化する)」方向に進むことが、真の「整体」への道だと思います。そのような自我のあり方を実生活においても実現していくことが、Mさんにおける今後の「自我の再構成」なのです。
整体となる目的は、自発的な生活を送る(=主体性を発揮して生きる)ことにあります(整体とは意識が明瞭な状態)。それは、自身の「裡の自然」に沿った自我を確立することなのです。
「自我の主体性」という表現は、河合隼雄氏の著作を通じて用いることができるようになったのですが、このようにユング心理学を勉強したことで、野口整体の個人指導を「人間の意識(自我)」の側から見直すことができました。
(補)
病気は部分の変常に対する全体の調整作用である
病気は治さねば治らぬものではない
いつも自ずから治る方向に歩んでいる
部分の変常に対する全体の治る方向への歩みを
人は病気といっているのだ