野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

(補)自己教育としての潜在意識教育と「対話の要求」

 今回は管理人、近藤佐和子が潜在意識教育と対話の要求についてまとめた文章を補足として入れることにしました。

自分との対話と潜在意識教育

 潜在意識教育の出発点は、「全力発揮できない」「一つことに集中できない」「意志が行動にならない」「人との関係に悩んでいる」といった、自分の「生き難さ」を超えていくために、過去にある原因とその影響に気づくことにあります。

そこから「全生」という未来に向って一歩ずつ歩んでいくのです。

 野口整体の潜在意識教育は、まず「自分との対話」から学んでいくことがその第一歩となります。ここで言う自分とは、自分の中の子どもであり、何かあるとざわつき始めるもう一人の自分です。

 野口晴哉先生は、自分との対話について次のように述べています(月刊全生)。

 

心の問題2

・・・潜在意識教育といっても、別段他人の力を圧しつけるわけではないのです。どんなに雄弁を奮って説得しても、相手は説得されたとは思っていない。・・・どんな場合でも、自分の意見を押しつけるわけにはいかないのです。それが心なのです。

自分との対話の中にその方向を示してやる。その誘導法が潜在意識教育の中心になっているのです。自分で自分と対話して、自分を切り開いていくのです。

・・・立派にみられようなどという、余分な頭は捨てて、本来の心、裸のままの心で、自分との対話をさせていくと、キチンと心が高まっていくのです。・・・心というものは本来そういうものであって、自分で自分と対話して訓練していく以外に、他人ではどうにもならないのが心なのです。

 

  野口先生は1972年の潜在意識教育法講座で、「自分との対話」は、相手の「無意識に働く心」を方向付ける、という潜在意識教育の核心に触れるための全段階であると述べています(『月刊全生』対話の要求19)。

 いつの間にか、そうと思い込んでいる観念を探して、それを見つけ出し、明らかにして「日に当てる」と無くなる。このように「自分との対話」を通して、心を解放していくことが、他者との気による対話が行えるようになる過程だということです。

 野口先生は、晩年、人間関係の中における個人という視点から、人間には「対話の要求」があることを説き、潜在意識教育の中心的課題としていました。「対話の要求」について、次のように述べています(『月刊全生』)。

 ・・・人間には言いたくても言えないことがある。しかし、対話の要求を持っているが故に、それを話せないと苦しいし、体も弱ってくる。話したくないこともあれば、話せるように自分の心をまとめていない場合も多い。そのまとめていない心をまとめて、それを口にすると自分の心がそこにあったことが分かるのです。そうすると、不明確なままでもやもやとしていた心が、スラっとなくなる。そうすると、健康になっていくのです。

・・・話したくなった時に、もう弛んでくる。けれども、話せないうちは硬張っている。しかし、それを形にさせると弛んでくる。私はそういうことを見つけたのです。

 

 裡では感じているが言葉にならない、はっきりした感情にもならないこと、または「表に出したくない心」が「本当に訴えたいこと」です。

 それが表現できず、自分の気持ちが通らない=対話の要求が充たされないことで不満が募り、体を壊していくことが、実際に多くあり、いわば痛み、凝り、歪み、また病症として身体上に不満や分裂した心、葛藤を表現しているのです。

 ここで言う「対話」とは普通の会話ではなく、「心が行ったり、来たり」することです。整体指導の観察で、身体に触れることも対話です。こうして人と気のつながり(関係性)ができることによって心は安定するのです。

 そして野口先生は病症の奥にある心の働きについて、次のように述べています(『月刊全生』心の問題)。 

健康を保つという面からみれば、その複雑な心によって自分の体を壊し、その能力を抑えつけるような生活をしている。自分との対話をしても、自分の力を発揮し、元気を出させる方向の対話ではなく、いよいよ自滅するような方向に引っ張っていく場合が少なくない。

・・・笑う時に笑って、泣くときに泣いて、それで無事でなければいけない。そういう世界を作らなくてはいけない。ともかく人間は、自分の複雑な心で、かえって自分の生命を保つことを疎外している。