野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 序章 二5

5 「五氏の思想」を通じて解った「私がなぜ科学に取り組んだのか」

  井深氏が説いた「戦後教育の問題点」に対する私の認識は、自らの高校時代の体験(中巻巻頭参照)に基づくものですが、「近代科学の問題点」については、その種が、師野口晴哉の講義を通じて私の潜在意識に入っていました。

 師の三男である裕介氏は、父である師より聞いた話として、次のように述べています(『月刊全生』 1999年10月号)。 

…晩年よくこういう話をしてくれたことがあります。「自分が若い頃からやってきた中で一番の敵は何だったかと言うと、常識だ。常識ほど強いものはなく、その時代の常識と闘うということが一番大変なことだった」と。

…熱のこと、病気のことなど、皆それぞれ理解してもらうまでに時間がかかりました。熱というものの意味をいかに説いても、なかなか理解してもらえなかったと話しておられました。

   裕介氏が語っている「熱のこと、病気のこと…熱というものの意味」というのは、「病症は体の抵抗力の表れであり、発熱は自然良能である(=生命の合目的性)」ということです。

 また、師は次のように述べています(『月刊全生』対話の要求 9 2003年3月号)。

1972年一月正月潜在意識教育法講座(二頁)

 私が五十年間やってきたことは、社会通念ということに対する戦いでした。ちょっと前までは、薬を飲み過ぎるなと言っただけで非難轟々と受ける。薬を飲んだら体が弱くなるのではないかと言うと、もっとみんな腹を立てる。

 病気でも手を当てて愉気すれば良くなるというと、変わった思想のように思われて非難される。子供の自由を大事にしなくてはいけないと説けば、子供は鍛えなければいけないと反発される、という具合でした。

 それが三十年経つと、私の説いてきたことが常識になってくる。…どんなに常識が変わっていこうとも、人間の心の働きというものは変わらないのです。ですから私はその人間の心を見定めるということに力を注いできたのです。そして私は心を見定めるために、体の動きを丁寧に観察してきたのです。 

  私の潜在意識に刷り込まれていたものは、師野口晴哉のこの精神であったと思います。師が若き時より抱いた「近代医療への疑問」を通じて講義されたもの(師の心)が、対外活動(本章一 3で詳述)を通じて呼び覚まされ「科学とは何か」に向っていきました。

 なぜなら、師の言う「時代の常識」「社会通念」とは、明治以来の「近代医学」による医療のあり方(=科学的生命観)であり、その基盤には「近代科学」があるからです。

 従って、現代における「時代の常識」の根拠とは「科学的根拠」というものなのです。

 では、なぜ科学が「身体性の喪失(科学は身体性から離れる)」や現代医療の問題(部分を見、対症的であること)をもたらす要因となったのか?それを探究するため、石川光男氏の著作から「科学とは何か」を学ぶことになりました(第一部第一・二章で詳述)。

 私は、長年の野口整体の行により深めてきたものについて、井深氏と、ここ数年の四氏の著作内容による学びを通じて思考を拡げることができました。

その他、鈴木大拙(仏教哲学者)、池見酉次郎)(内科・心身医学者)氏(そして中村雄二郎(哲学者)、村上陽一郎科学史・科学哲学者)氏)の思想を学ぶことになりました。

 これら、主なる七氏(前述の五氏と二氏)に私淑する(直接に教えは受けないが、その人を師とし学ぶ)ことで、「科学の知・禅の智」シリーズを著すに至りました。

 これらの人々は、現代の日本における問題を、それぞれの立場・視点より説いておられますが、共に「近代科学とは何か?」「科学による近代社会の成り立ち」「近代科学の利点と限界・問題点」について明らかにされています。

 私は、現代人が野口整体という「思想と行法」を身につけていないから、「心と体」に問題を抱えているのだと長い間思ってきましたが、五氏等の思想を学ぶことで、これは、「戦後の科学的教育」、そして、明治以来導入された「近代科学」により発展した現代社会に要因があったと、良く理解できたのです。