野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」三6

腰が重い― からだ言葉が通じない若い世代

  二十代中頃の女性の、最初の個人指導でのことです。

 観察で背中から腰を観て、私は「腰が重いんだね」と問いかけたのですが、彼女はその意味が解らないのです。

「腰が重い」というのは、「億劫」、また「行動力がない」という意味で、年配の人ならすぐに結びついたものですが、今の若い人は、このような言葉が自身に結びつかないのです。

 気を集めて観察し、確かなことを言ったわけですが、対話にならないことを痛切に感じたのです。

 このように、言葉から体の状態への連想がはたらかないのは、からだ言葉の文化の衰退によるものです(「腰が重い」は相撲の世界では誉め言葉)。

 3で紹介した現代の「腹黒い」は、本来の意味に近い用いられ方ですから、今の若い人にも、本来的な意味が理解されると思うのですが、「溜飲が下がる」となると、言葉自体をほとんどの若い人が知らないのです。

 以前、野口整体を学びにフランス人が道場に来ていた時、「日本語は縦に出来ている。縦とは、背骨が通る方向であり、気の流れる方向に出来ている。それで日本語は「肚」に入るのだ」という話をしたことがあります。日本語は、このような身体を持つ人間が語る言葉として、発達してきた言語なのです。

 しかし、生活文化が変わり(=「気の文化」が衰退し)、身体感覚が衰退した現代は「からだ言葉」が通じなくなり、それとともに「養生する(身を保つ)こと」が難しくなっているのです。

 天野祐吉氏(コラムニスト)は、自身のHP「あんころじい」(胸おどる「からだことば」)で次のように語っています。 

ことばの元気学

…からだの一部をつかって感情を表現することばって、「胸がおどる」のほかにもたくさんありますよね。「血がさわぐ」とか、「腹が立つ」とか、「へそが茶をわかす」とか。…

でも、なぜ、こんなことばが生まれてきたか。それは、ことばって有限なのに、人間の感情には限りないひろがりがあるからですね。つまり、有限のことばで無限に近い感情の機微をあらわすために、ぼくらのご先祖さんは、すごい発明をした。そのおかげで、日本語はうんと豊かになりました。

とまあ、こんなふうに、からだの一部をとりこんだことばを「からだことば」っていうんですが、東郷吉男さんの「からだことば辞典」(東京堂)にのっているだけでも、その数はなんと6000以上もある。すごいですねえ、ご先祖さんの知恵っていうのは。これはもう、かけがえのない文化遺産だと思いませんか。

ところが、ところがですね、このところ、その財産がどんどん目減りしている。からだことばのかなりのものが、若い人たちに通じなくなってきているんです。どうしてか。養老孟司さんに聞いたら、「いまの世の中、脳ばかり肥大して、からだがお粗末にされてきているためでしょう」と言ってましたし、ある言語学の先生は「日本人の感情表現がどんどん貧しくなってきているせいだ」と嘆いていましたが、なんにせよ、これは、たいへん心の痛む(これもからだことばだ!)モンダイだと、ぼくは思うんです。

ところで、こうしたからだことばのモンダイを、最初にぼくに教えてくれたのは、NHKの「日曜喫茶室」でお会いした歴史家の立川昭二先生でした。

 

「日本人の感情表現がどんどん貧しくなってきている」とは、現代は感情が発達しない時代なのです。

 敗戦(1945年)後の科学至上主義教育(科学教)は、理性至上をもたらし、養老孟司氏曰くの「脳ばかり肥大し」、となったのです。感情がなぜ発達しないのかと言うと、客観性を重視する科学(至上の時代)では、主観的な感情は意味のない(不要な)ものなのです。そして、感情は身体と直結しているもので、「からだがお粗末にされ」たのです(これは伝統的な「身体性」の衰退を意味し、スポーツが盛んになったこととは異なる)。

 現代に増えている心身症は、身体表現性障害(註)と呼ばれるものと共通の根にある「感情の未発達」とかかわりが深いものです。

 からだ言葉の復活は、かつての日本人の感情の豊かさを取り戻す道筋になることと思います(身体に表れている「情動」を対象とし、感情表現をする個人指導での「心のやり取り」は、身体感覚と「感情(心)の発達」を促すものとなる)。

(註)身体表現性障害 不安・葛藤などの心理的要因が体の症状

を引き起こす疾患。第六章で詳述。