野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第五章 野口整体と心身医学の共通点 二2②

 前回の続きで、心身医学がぶつかった壁についての内容です。

 現在、心身医学の世界では一人の医師が体と心の両面から、一人の人間をまるごと診るというやり方ではなく、各専門医と心理療法の専門家がチームで行うという方法が取られている様です。

 池見氏もそのやり方で心身医学を普及させようとしていたのですが、やはりパイオニアの仕事というのは、一人で完結させなければ為し得ないこともあり、ワンマンだという周囲の批判や自分の限界との葛藤はつきまとっていたようです。

 ことに潜在意識を観るという場合は、一人の指導者が人間まるごとを観ることが必要で、それによって相手が心と体の統合性を取り戻すという過程があるのです。

 それでは本文に入ります。 

②東西の医学の出会い― 西洋思想「心身二元論」の壁

  池見氏は、日本で心療内科が発足した1963年頃から、初め当てにしていた、アメリカの心身医学が凋落し始めたことを記しています。氏はその理由として、アメリカにおける心身医学の方法には大いに限界があったと考えられ、そのパイオニアの多くの医師が挫折した、と次のように述べています(『続・心療内科』)。

 茨の道

 アメリカで心身医学のパイオニアとして活躍してきた学者たちのほとんどは、精神分析学の流れをくむ人たちであった。ところがアメリカでも、その時点での精神分析療法には大いに限界があり、しかも科学性に欠けるという批判がしだいに厳しくなっていった。

 およそ一〇年前(1963年頃)に急逝したダンバー女史(註)は、このようなパイオニアとしての悲劇をもっとも痛切に体験した人の一人であった。1939年(34年前)に、自ら編集者となって、アメリカで最初の心身医学の雑誌を発行した彼女であったが、その死は自殺とも伝えられている。

 彼女の死につづいて、内科医として心身医学のパイオニアであり、私の恩師であるテンプル大学のワイス教授、…「感情と胃の機能」の実験で有名な、コーネル大学のウォルフ教授をはじめ、アメリカの心身医学を開拓した先駆者たちのほとんどは相次いで亡くなった。また海を渡ったヨーロッパでも、自律訓練法の創案者であるベルリン大学のシュルツ教授、…ロンドン大学バリント博士など、心身医学の代表的な人たちが、過去一〇年ぐらいの間にほとんど亡くなってしまった。しかも、ダンバー女史だけでなく、彼らの中には非業の最期をとげた人が多い。

(註)フランダース・ダンバー(医学博士)

女史が1954年に著した、心と身体の相関を証明する五千余りの症例を収録した『情動と身体の変化』は、心身医学発達における記念碑的な業績とされている。

  池見氏は、現代医学の第一線にありながら、同時に人間の魂の救いへの道を学問的にきわめるという両立がいかに困難であるかを記し、親鸞の『歎異抄』や道元の『正法眼蔵』に学んだことを挙げています。

これは、科学的な医学研究は現在意識によるもの、宗教の領分である「人間の魂を救う道」は潜在意識によるもの(=学問としては確立しにくい)、という問題と私は考えます。

 それは、客観的に物事を捉える(切り離し、対象化するはたらき)理性による科学研究と、主観的に自他一如(つながりによる)で行う「道」という相違というものです。