野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

(補)全生と老荘思想

全生保身(生を全うし身を保つ)の思想

 立川昭二氏の著書を読み始めた頃、「全生とは何か」という話の中で、金井先生から「全生保身(ぜんせいほしん)」(うし(み)をつ)という言葉が出てきました。金井先生の「全生保身」は、おそらく野口先生の講義で聞いた言葉ではないかと思います。

 私はこの時の話の全体はよく覚えていないのですが、この言葉がつよく心に残りました。

「全生」は野口整体の中心的な理念ですが、元は荘子(BC4世紀の中国の哲学者)の言葉で、生を養うとは「無心であること」、そして「自然(道)に順うことを生活の根本原理とすること」と説きました(『荘子 内篇』福永光司)。また、「全生」は禅でも用いられる言葉です。そして、貝原益軒の『養生訓』の理念(身をたもつ)でもあります。

 こうした背景は、以前は共有されていた東洋宗教文化という基盤の一端ですが、現代では失われつつあるものです。整体は日本と東洋の精神文化にも通じる道なのだということを、より多くの方に知って頂きたいと思います。

 老荘思想研究で知られる福永光司氏は、「全生保身」と老荘思想について次のように述べています。 

福永:一番の老荘の哲学のスタート地点は、この自分の命というのがどのようにして成立したのかということ。

それからこの命を全うする為にはどのようにしたらいいかということで、これは荘子の中の言葉ですけれども、「生を全うし身を保つ」「全生保身(ぜんせいほしん)」ということが、それで道教の最高の理想だというふうに説かれているんですね。

老荘の哲学の場合は政治倫理だとか、経済軍事とか、いろいろなことを言っても、それはその時、その時のいろんな状況で変わっていくけれども、一番大切なことは”人間の命を最高の価値”とするということですね。

…政治も経済も軍事も全て命を全うする為に考えられなければならない。命を全うする為のサーバント(召使)でしかないんだと。

  生を全うするということ、そしてこれは老荘の重要な要素である身体ですね。ここで「身を(保つ)」というのは身体(からだ)なんです。命を身体で捉えるということですね。

 霊魂とか、非常に抽象的な死後の安らかさとか、そう言った問題よりも、生身の身体で命を捉えていく。

…政治は如何にしたら人類の命を全うすることに役立つか、科学技術というものも、あくまで命を全うする為の一つのもっとも有効な手段として、位置づけられなければいけないのに、科学技術が独走してしまって、人間が科学技術のサーバントにされてしまうような世の中は、非常におかしいんではないかというのが老荘の「道」の哲学の立場なんですね。

 …これは亡くなられた理論物理学者の湯川秀樹先生が、生前によく引用しておられた『荘子』の中の言葉ですが、

機械有る者は、必ず機事有り、

機事有る者は、必ず機心有り。

(『荘子』天地篇)

 ここで機械というのは、カラクリというくらいの意味ですけれども。

 機械はマシンという意味も含みますけれども、当時はカラクリという言葉の方が適当だと思います。

「機械有る者は 必ず機事あり」。「機事」は機械の機の字に、事件の事という字を書きますけれども、機械技術をすべてとする人は、全ての事物を機械で処理して、それで万事終わりだという考え方を持ちやすい。

 そうして「機事有る者は 必ず機心あり」、機械をすべてとする技術者は、その人の心も機械のように冷徹で、ただ物理的な動きしか持たない、生きた命の息吹を持たない心のあり方になってしまって、全く機械的に操作するようになる危険があるから、注意しなさいという言葉を、西暦前四世紀の哲学者・荘子が人類に警告しています。

 その荘子の言葉を生前の湯川さんが私に「凄いことを言っているなあ」というふうに、よくおっしゃっておられましたけれども、この言葉をやはり21世紀に向けての日本の人々は、今からやはり噛みしめていくべきではないかと、そういうふうに私は思います。

…平成9年1月26日NHK放送「こころの時代」HPより抜粋。