野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 一2 

西洋医療(近代科学)と人の心との関係

  第二章(一 1③・2、三 1)で述べたように、野口整体が創立された昭和初期という時代背景には、明治以来の、政府による西洋近代医学の急激な普及がありました。

江戸時代までの多元的だった日本の医療は、1874年(明治7年)の医制発布によって、西洋近代医学(ドイツ医学)に一元化されました。同時に、これまで独自の医学観や身体観の下で長い年月をかけて構築されたわが国の伝統医学は、代替医療に格下げされてしまったのです。

 しかし、当時の近代医学においては、病理学的研究は進んでいたものの、それを基にした診断による治療法は、実際的な治癒にはつながりませんでした。そんな中、師野口晴哉は当時の近代医学では救われない人々のために活動を始めた(大正15(昭和元)年4月)のです。

 こうした歴史的背景があり、野口整体と西洋医療の間には距離があったのですが、近年には、西洋医学を修めた人が野口整体に関心を寄せる傾向が表れるようになりました。

 私の道場が〈熱海・来宮〉という首都圏の端に位置しているという事情もあると思いますが、ずっと以前には今のように医療関係者が指導を求めて来ることはありませんでした。

 序章にも書きましたが、かつての西洋医学の医療関係の人々は、医療に携わる自身に権威とプライドを持っており、「整体」と名の付くようなものは「軽視していた」というのが、以前の私の印象でした。

 私の本(『病むことは力』)が出版されたことで、その内容に「臨床心理」面が多く含まれていることや、何より『整体入門』『風邪の効用』(野口晴哉)『回想の野口晴哉―朴歯の下駄』(野口昭子)が広く読まれるようになったことから、野口整体が正しく世間に伝わりつつあるようです。

 最近では、個人指導を受ける人の中に、代替医療を専門的に学んでいる医師がいたりします。これは一体、医師や医療に携わる人たちが、野口整体などに取り組むようになったのは、西洋医学がどのように受け取られるようになってしまったのか?ずっと以前には見られなかった、このような現象がなぜ起きているのかを考えるようになり、「西洋医療と人の心との関係」について知りたいと思うようになりました。

 それで、西洋医学を発展させた近代科学というものについて本格的に学んでみたくなっていたのです。

 こうして、現代の成り立ちを根本的に知る上で、科学について勉強し、「現代と野口整体」という関係性を諦観すべく勉強が始まったのです。

「科学という世界」の根本(=哲学性)について、私が理解する上での先達(その道の案内人)となったのは石川光男氏でした。

 石川氏の著作に出会うこと、そしてこれ以前から、湯浅泰雄氏の著作『気・修行・身体』(平河出版社)に取り組んでいたことから、「野口整体の世界はアカデミック(学究的)な世界とのつながりを持つことができる(=野口整体は一定の理論を持って説明し得るもの)」と確信が得られ、上巻を著すことができました。