第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 一3
ユング心理学と出会う
石川光男氏の著作を通じて「科学の哲学性」を学び始めた少し後の2008年5月、指導に通う植月賢二君が『ケルト巡り』(河合隼雄)という本を持ってきてくれたのが縁で、ユング心理学を学ぶことになりました。
指導に通う人の中でユング心理学に興味を持つ人も多く、この言葉に耳慣れていましたが、この時「あーっ、私は河合さんの本で、ユング心理学を勉強するんだ!」と、ふっと、しかし確かに思ってしまったのです。
ユング心理学は、深層心理学と呼ばれる心理療法の流派の一つです。西洋では、人間の体を物として研究し発達した近代医学に対して、心を研究するべく、フロイトの精神分析学を始めとし深層心理学が発達していきました。
人間は、自身で意識しうる「心的過程(心の動きや変化)」のみではなく、無意識的な心的過程をもつことを前提とし、この無意識について研究するのが深層心理学です(その草分けとしての一つがユングの分析心理学。その他、アドラーの個人心理学がある)。
それは今振り返ると、石川氏の著作に取り組む前、2007年の夏場から、湯浅泰雄氏の『気・修行・身体』に取り組んでいたことが伏線となっていました。この著作との出会いから「湯浅氏の思想」に取り組むことになったのですが、氏はこの著で、ユングの思想と東洋の修行法との関連について述べています。
この頃、湯浅氏が述べるユングの思想内容にまで触れることはありませんでしたが、ユングに対して「湯浅氏ほどの人がこれほどに取り組んで来た人なのだ」と認識していました。
その後植月君を通じて、河合隼雄氏の『ケルト巡り』に出会った時は先のような深い予感を感じたのです。後に、この時の状況は、ユング心理学で云う「布置・コンステラツィオーン(註)」というものであったと理解したほどでした。
このような縁を通じて、初めて河合隼雄氏の著作に取り組むことになり、間もなく深く学んで行くようになりました。
そうして、河合氏の著作を通じての「臨床心理」のさまざまを、自身の「個人指導」の場に置き換え考えてみることができ、ユングの「人間(の心)に対する態度や思想」に深い共感を覚えました。
そして、河合氏の著作を通じ「科学によって観えなくなるものとは何か」が理解できて行ったのです(=分けることで、捉えられないものがある)。
湯浅氏や河合氏の著作から学ぶユングの思想には、現代性があり、論理的・体系的な面が多く、従って普遍性が強く、世界的なものとなっていることが魅力です(ユングが西洋近代文明の現代的問題点を指摘し、これを超える思想が論述されている)。
これに比べ野口整体の思想は、これまで論理性を以って伝えられることが少なかったと思います(これが困難な世界でもある)。
(註)布置・コンステラツィオーン(ドイツ語で「星座」の意)
個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったりした時、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることを、布置という。布置は、共時性の一つの現れであると考えられる。コンステレーション(英)。
(補足)
今回の内容に『ケルト巡り』という本がユング心理学との縁になった…とありますが、実際に読み進めることになった河合隼雄の著作は二で取り上げる『対話する生と死』でした。