第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 一5
師野口晴哉の説いた潜在意識― 潜動意識・現動意識
師野口晴哉は、現在意識・潜在意識・無意識とはどのようなものかについて、次のように述べています(『野口晴哉著作全集第四巻』)。
三、心の構造
心の構造は、こうするとか、考えたり感じたりする表面を通して外界に結ばれる現在意識。
口惜しいとか楽しかったという過去の記憶や感情、冷たかったとか熱かったとか、辛かったとかいう観念がひと塊になって、現在意識の働く傾向をいろいろと指図している潜迫している観念、抑圧された感情、実行できなかった意志などの潜在意識。
これらの大本としての形なき、未だ意識にならざる無意識。
この関係は海水と氷山の関係を考えれば容易に判りましょう。即ち海面に顔を出している氷山が現在意識、その海中に隠れた部分が潜在意識。それらの大本としての海水が無意識。
師野口晴哉は右のように説明した上で、潜在意識のありようによって、現在意識がどのようにはたらくかを次のように説明しています。
様々な楽器が含まれるオーケストラによる演奏を聞く場合、楽曲の中に関心のある楽器の音をとりわけて聞くことがあります。レコーダーで録音をすると、全ての音が均一に録音されるのですが、人間の耳は、特に関心のある音に的をしぼって聞くことができるのです。
レコーダーの機能が現在意識であり、関心のある音を聞き分けるはたらきが潜在意識なのです。音楽に関心が高く、ある楽器の音色に敏感であればこそ可能なことですが、このような心が潜在意識に形成されているかどうかなのです。
また、庭を見る人の例では、花が咲いていると見る人、雀が来たと見る人、石の形を見る人という違いや、不動産屋となると、美しい花を見逃して坪数を測ることに余念がない、など、庭を見ているという現在意識に対して、花や雀、また広さにはたらかせる心が潜在意識であると説明しています(どのような心が潜在意識に形成されているかによって、聴覚や視覚が働き、関心のあるものを捉える)。
そして、現在意識ははたらかされているとは気づかず、自らはたらいているつもりになっているものであると。現在意識は鏡の如く映し、しかし映したものに対応してはたらく心は過去の心(潜在意識)である、としています。
師はこのような過去の心は、どのように形成されるのかの例を、同著で次のように述べています。
…鬱散す可き感情を抑えてしまうと、潜在意識の中で固まってしまって出て行かない。ただ固まっているだけならよいが、その固まりがあると、感ずることから考えること又体の動作に至るまで、いつの間にかその支配を受けてしまう。
月を見て涙ぐむのも、菓子を見て涎の出るのも、ある人が親切そうに映るのも、石の如く見えるのも、心の中の感情の固まりの為だし、その固まりの中には感情だけではなく、記憶、それも何となく漠としている心に覚えていないようなものまで入っている。
それがただ入っているだけでなく働いている、しかも休みなく働いている。それ故、心の表面に働いている心の他に、裡に潜んで表面の心を動かしている心があるのであります。これを潜動意識と言います。
観念とか、記憶とか、感情とかいうものが潜在意識にあるということは、ただあるのではなく、常にその最初の目的を実現する為に働いているのであります。それ故これを潜動意識と言うのです。その潜動にいつも動かされている意識を現動意識と言います。
私は、このような師の「潜在意識教育法(心理療法)」の講義を聴くことで、心の構造やはたらきを知り、「自分自身」を知ってきました。
「人生の明暗」という言葉がありますが、この「暗」に当たるものがないと「明」もないのです。また仏教では「迷悟一如」という言葉もあります。
いかに、この「暗や迷」を「明と悟」に変えていくかが、修行というものであり、この過程を生きる者が他の人の「暗や迷」に携わることができるのです(自分に問題意識があり、これを超えて行くことが指導性を養う)。
自身の「暗や迷」を「明と悟」に変えていく道程を生きる者が、他者の「暗や迷」に携わることができるというのが、自分のことから始まる野口整体、というわけです。
私としての野口整体を論理的に説明するために、また野口法の継承者を自認する私が、僅かでも師野口晴哉の心理療法・「潜在意識教育法」の世界を伝えられたらという念いで、現代的な要請(ある程度の理論体系があること)から、ユング心理学的説明を援用することとしました。